9月14日放送のカンブリア宮殿「途上国から世界に誇れるブランドを!女性起業家が挑む新た
なビジネス」の回、ご覧になられましたか?今回は、特に素晴らしかったですよ!!
ファッションの発信地、横浜の元町に評判のバッグ屋があるそうです。そのお店こそ、今回の
主役【マザーハウス】。「軽くて、色合いが美しい」「高級感があるのに値段がリーズナブル」
客を魅了するのはそのクオリティの高さと値頃感。このバッグ、タグを見ると全てバングラデ
シュ製。アジア最貧国と言われる途上国で製造された商品なのです。
マザーハウスの社長、山口さんは、途上国の生産にこだわり、かつ上質なモノづくりを掲げて
います。貧しい途上国の人達に世界に通用する一流の技術を伝え、『途上国からも世界に誇
れるブランドを…』作り上げようとしていました。『途上国にも豊かになって欲しい…』
そんな思いがそこにはありました。
山口さんの工場では、通常行われる分業制ではなくて、テーブル制にして、1人1人が全ての
工程に携わることで、分業では得られない生きた技術の習得を目指しているのです。番組では
触れられませんでしたが、ということはつまり、意識の高い者は、独立して自分の力で前に
進む事ができるという事でもあるのです。工場の中は空調などの環境を整えるばかりか、無料
で栄養ある食事まで提供していました。本当に涙が出るくらい素敵な女性でした。
山口さんは小学生時代にイジメに会い、その反動もあって、中学生では非行に走ったそうです。
そんな彼女を変えたのは、柔道との出会い。猛烈な練習の末、全国7位の成績を収め、勉学に
も精力を注ぎ、出身の工業高校からは初となる慶応大学に進学。そして、学生時代にバングラ
デシュに渡った時、途上国の貧困問題にどう自分が向き合えるのか考え始めたと言います。
悩んだ末に選んだ答えは、安い賃金と劣悪な環境で日々を過ごしている人たちと、輝き型を
一緒に見つけたいということでした。即座に大学を編入して2年間現地の大学院にまで進んで
います。
マザーハウスはバングラデシュで作るバッグだけでなく、スリランカやインドネシアなどの
途上国でも、ジュエリーなどを生産しています。そして、今、日本のマザーハウスで注目を
浴びているのが高級素材で作るストール。評判の素材は、2015年に大地震が起きたネパールの
繭農家が生産するシルクでした。
マザーハウスという社名は、マザー・テレサからヒントを得たと言います。ビジネスと社会
貢献の両立は無理だと言われる中、『誰かがババを引かなくても、上手く行くのでは?』と
突き進んできたそうです。バングラデシュで見つけた1つの麻袋から始まった1歩は、幾多の
苦境・困難に屈することなく、強い信念で今日に繋がっていました。
いきなりゴールを意識していたのではできなかったけれど『昨日よりは一歩前に進もう』と
いう姿勢で頑張って来れたそうです。それは、いじめから立ち直ろうとした時、いきなり教室
に入るのではなく、「今日は校門まで」「今日は下駄箱まで」といった、少しずつでも前に
進んだことで勝ち取れた経験がくれたもの…。
諦めそうになった時は『持っているカードを出しきったかな』と考えて、『まだ、できること
がある』と諦めずに頑張って来れたとか…。そんなマザーハウス代表、山口さんは全国各地から
講演会の誘いが頻繁にあるそうです。その聞き手は、女性が大半で、どの講演会も客で埋め尽く
されるとか。山口さんが語るのは、歩んできた苦難の道、そして、自分自身を鼓舞する信念です。
【世界で最も影響力のある100人】というのがありますが、山口さんもそんな一人に相応しい方
の様な…。いやぁ、本当に凄い人でした!! 映像の中では、サインや握手を求められていました
が、私もサインが欲しくなりましたよ…。久々に鳥肌が立つくらい素敵で素晴らしい人に出会え
たので、沢山の良い言葉を書き出して今回は、終わりたいと思います。
『輝き型を一緒に見つけたい』
『誰かがババを引かなくても、上手く行くのでは?』
『昨日よりは一歩前に進もう』
『持っているカードを出しきったか』
『つらい時間や経験は、絶対に無駄でも無意味でもない』
『大事なことは、どこまで続けるかという覚悟』
先日、NHKの7月9日放送のBS1スペシャル「ラスト・ドライブ」の再放送を見ました。
死を前にした人の最後の願いをかなえようという終活プロジェクトがヨーロッパで静かに
広がっているそうで、番組では、ドイツが取り上げられていました。
ドイツでは3年前から「願いの車」という名の車が旅を続けています。国籍も人種も問わ
ない無料のサービスです。普通ではお金がかかりすぎて実現できませんが、寄付で賄われ
るので、本当に夢のような話です。
医療従事経験のあるスタッフとボランティアが、本人や家族からの依頼をもとに人生最後
の旅のプランを作っていきます。同伴家族が居なくても介護師や救護資格を持った人など
ボランティアスタッフが無料で同行していくのです。
死にゆく人が最後に願う場所に行くお手伝いをする「ラストドライブ」。救急車を改造し
た車は「願いの車」と呼ばれ、ボランティアがラストドライブを介添えします。「死」と
いう人間の孤独な宿命と、人と生きることを考える番組ということでしたが、本当に色々
と考えさせられました。
番組を作られたディレクターさんは、心に残った言葉について、こう話されていました。
『家で死にたい末期患者を診ているお医者さんの言葉です。「ラストドライブ」そのも
のを否定する言葉ですが、名言だと思いました。
【願い事は、死の直前まで放ったらかしにせず、元気なうちに叶えておけばいいんです】』
印象に残った84歳で末期のがん患者マグダレーネさんの願いは亡くなった夫とよく行って
いた海。それも夫と行っていた海とは違う海に行きたいという願いでしたが、同行した
ボランティアの人たちの優しさ・思いやり…徐々に心を開いて喜びを言葉で表現出来るよ
うになっていくマグダレーネさん。
行った海はドイツを出たオランダの海。海岸には、既に終活で先行しているオランダが、
足の不自由な人でも海岸沿い…海水の近くまで行けるように作られた特別な手押し車。
本来、これほどまで病んでしまうと眺められない景色でも、叶えてもらえる…。本当に
幸せそうにしている笑顔のマグダレーネさんがとても印象的でした。
終末を迎えて逝く人たち、みんなが幸せに過ごせた訳ではないけれど、見知らぬ人でも
寄り添ってくれる人がいることが、どんなに心を癒してくれることか…。後日、願いが
叶った人を、旅に同行したボランティアが、再び訪ねて、『他に願いはないか』と訪ねると、
【何もない】…そう仕草で示したそうです。
尋ねた人は、最後の願いを叶えてもらったことで、
【死を受け入れる心構えができたのでは…】と話されていました。
1人1人、どんな終末を迎えていくのか分かりませんが、『願いの車』…
高齢者が多く、がん患者も多い日本でも、広がっていくような気がしました。
とても感慨深く、また、とても素敵なお話でした。
昨日は広島「原爆の日」。広島市の平和記念公園で「平和祈念式典」が開かれました。
『平和宣言』全文:広島市長
皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。
このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。
それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。
また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。
皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。
為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。
市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。
今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。
その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。
今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。
特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。
平成29年8月6日 広島市長 松井一實
『平和への誓い』全文:子供代表
原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常があったのです。
昭和20年(1945年)、8月6日午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。
広島の町を失ったのです。
多くの命、多くの夢を、失ったのです。
当時、小学生だった語り部の方は、「亡くなった母と姉を見ても涙が出なかった」と語ります。感情までも奪われた人がいたのです。
大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。しかし今、広島は、人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。草や木であふれ、緑いっぱいの街になりました。
平和都市として、世界中の人に感心を持たれる街となりました。
あのまま人々が諦めてしまっていたら、復興への強い思いや願いを捨てていたら、苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません。
平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所、広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。
未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。
一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。
広島の子供の私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。
平成29年(2017年)8月6日こども代表
広島市立大芝小学校6年 竹舛直柔
広島市立中筋小学校6年 福永希実
内閣総理大臣の言葉もありましたが、平和憲法を変更しようとし、唯一の被爆国であるにも拘らず、国連の核兵器禁止条約の採択に不参加となった「中身のない人の言葉」は省略させて頂きます。市長の言葉『特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。』
『本気で』という言葉・・・印象的でした。
『知解行成』
"知解行成"
そんな四字熟語はないけれど・・・
知って・・・
解って・・・
・・・いるならば・・・
行いを・・・
成さなければ・・・
・・・意味がない・・・
いつからでも・・・
どこからでも・・・
誰かれ環境でもなく・・・
今すぐ・・・
・・・律する・・・
強い信念と心で・・・
詩集『道しるべ』より
国会は、今日24日午前、学校法人「加計学園」問題で安倍首相の政治的関与の有無や、
あの稲田大臣の南スーダンPKO(国連平和維持活動)部隊の日報問題をめぐり、安倍首相が
出席しての閉会中審査が行われます。
安倍首相は、ごまかさずに納得のいく説明ができるのか、稲田大臣の隠ぺい行為に対する
説明はどうなるのか…注目されていますが・・・きっと、また、すれ違いのおかしな答弁
でごまかし、押し切ろうとするのでしょうね。
自民党に投票した人たちは、今の状況をどう思われているのでしょうか…。特定秘密
保護法、共謀罪と世界中から批難を受けながらも、通してしまった現自民党・・・
悪く言うなら『恐怖政治』・・・で、腹立たしいばかりです・・・。
国民の為に、国民の思いを活かして代表として動いてもらいたいものです・・・。
『物語』
命を与えられた主役が登場する
そして、課題が与えられる
最初の分岐点
課題を無視するか、手をつけるか
いずれにしても、課題の登場によって環境が変化する
そして、次の選択肢を迫られる
第2の分岐点
自力で進むか、他者と協力するか
いずれにしても、何かしら、経験として、知識となる
どちらも、決して無駄にはならない
やがて、これまでの結果が迫ってくる
最後の分岐点
この行き先は、主役でも決められない…
良い結果が良いのか、悪い結果が良いのか
そして、物語は終わっていく
生きていく中で、幾つもの物語が生まれ、記憶の図書館に飾られていく
それでも、全く同じ物語などない
だから…
名作と呼ばれなくても、納得できる物語を残したい
与えられた命だからこそ、自分で選択し、歩いて行きたい
どんな分岐点であっても、必ずゴールは同じ
主役の未来へと繋がっている…
詩集『道しるべ』より
7月4日放送のアナザーストーリーズ『セウォル号沈没事故~生死を分けた101分~』ご覧に
なられましたか?まだ記憶に新しい2014年4月16日、日本の至近距離で起きたセウォル号
沈没事故。亡くなった乗客の大半が修学旅行中の高校生という、とても悲しい事故で、韓国
史上でも最悪の海難事故でした。
そんな事故から3年が経とうという今年3月、船から事故発生を知らせた音声記録が初めて
公開されました。混乱する船員を尻目に、冷静にSOSを発したのは、なんと船員ではなく
16歳の高校生。信じ難い船員や救助隊の対応…事故から沈没までの101分のドキュメント
です。
当時16歳の高校生チェ・ドクハは、船内放送で『心配ないから指示があるまでその場を動か
ないように』とあったにも関わらず、危険を察知し、自ら携帯電話でセウォル号からの最初
のSOSとなる緊急連絡を行っていました。船員も含めた周りの大人たちがパニックになる中、
冷静に状況を伝え救助を求める少年。このSOSのおかげで救助隊が駆けつけることになり
ますが、残念ながらチェ・ドクハさんの命は、奪われてしまいました。
不法漁船を取り締まる指導船の航海士、パク・スンギ。現場から40キロ離れていたにも拘ら
ず救助に向かっています。着いた時には沢山の船が、沈みゆく船の周りを囲んでいましたが、
何故か見守っていただけ…。パク・スンギさんは、船の中に人影を見つけると、迷うこと
なく接近し救助を始め、多くの高校生を救っていきました。
チェ・ドクハさんの同級生、パク・ジュンヒョクさん。傾いた船の中で、その場に待機する
ように求めた船内放送に従って、彼は助けを待ち続けていました。足元にまで水が来た時、
初めて脱出を決意するも、目の前で出口が水に塞がれ絶体絶命。そんな時イチかバチかで
「とにかく何かやってみよう」と潜ったところ、沈没寸前に船外への脱出に成功し、海に
沈んでいくセウォル号から離れようとしながらも、船から目を離さなかったパク・スンギ
さんに助けられ、最後の生存者となったのです。
セウォル号からの船員の通信には『あんな船では全員は助けられない』と入っており、
だから…船員は高校生たちを置き去りにして、先に逃げ出したのか…。駆けつけた救助隊は
高校生と話をしていたにも拘らず、何故辿り着いても直ぐに救助に向かわず、パク・スンギ
さんが先陣を切ることになったのか…。
丁度前の週、タイタニックの沈没事故が放送されていただけに、対応の差の酷さに呆れる
どころか怒りさえ覚えたのでした。
最後に助けられたパク・ジュンヒョクさんは今年20歳。沈みゆく船の乗組員や救助を求め
られた救助隊が役割を果たせなかった事を目の前で見、命で知ることになった青年は、
最後にこんな事を言っていました。
『少なくとも自分が出来ること、責任を果たさなければならないことが、
出来る人間になりたい』
大人として…というか、人として、責任を果たせる人でありたいですね。
特に、未来のある若者の為には、尚更の事として…。
『より、命を全うする
そんな『生き方』って?』
自分が嫌いになる時がある、
それは、変わりたい自分がいればこそ
自分にしかできない事がある、
でも、自分にも出来る事はもっとある
知識の未熟さに沈むよりも、
感じる心の尊さを大切にしたい
欲し奪いたい思いに襲われるなら、
捨て去る勇気とゆとりが欲しい
人の嫌なところに腹を立てるより、
人の良いところ探しに向かいたい
噂に振り回されるよりも、
眼に映る美しさに満たされたい
みんなに好かれるより、
1人でも好きな人がいる方が良い
楽しい事を探すよりも、
誰かに喜んでもらえる方が良い
美味しいものを食べる事より、
美味しく食べられる事の方が良い
永遠の命より、
限りある命の方が良い
何かマイナスな事があっても、きっと
必ずプラスに受け止められる道があるはず
そんな道を進みたい・・・
詩集『道しるべ』より