その素晴らしいギタリストはEstas Tonne (エスタス・トンネ?) という1975年 旧ソ連 ウクライナ生まれの47歳…なかなかルックスもクリントイーストウッドというかモーゼの様に格好良い男性ギタリストです。ご存知でない方は、まずという是非、聞いて頂ければと・・・
まずはドラマティックで圧巻のストリートライブから
The Song of the Golden Dragon
https://youtu.be/7gphiFVVtUI
続いては、美しい調べで感動のIntrospection
https://youtu.be/5OXcXv0rUNI
そして、吟遊詩人らしく最後に語りの入るRevival
https://youtu.be/No5OiS2XtV8
世界中を旅し、ストリートで、小さな酒場や教会や各地のフェスティバル等…独立してライブを行い、現代のトルバドゥール(吟遊詩人)と称され、自由な音楽活動を行なっています。2011年YouTubeに投稿されたドイツでのFestival Stadtspektakel Landshutでのパフォーマンスは、2016年までに2400万回を超えています。
エスタス・トンネは既存のシステムに依存しないという哲学をもっているようです。それは、彼自身の経験だけではなく、彼の中に流れる血の記憶が彼に教える哲学なのでしょう。ウェブサイトから彼のアルバムを買うことができますが、アルバムの値段は、「name your price あなたの値段で」と・・・、つまり、ウェブ上でも、ストリートミュージシャンの魂を大切にし、値段の決まっていない祝儀制なのです。
Estas Tonneの本名は、Stanislav Tonne ですが、とても幼い頃、祖父から、先祖はエストニアから来たという話を聞いたと言います。Stanislav スタニスラフではなく、名乗っているEstas エスタス という名は、Estonia エストニア に由来するのかもしれません。
彼が生まれ、少年時代を過ごしたウクライナは、旧ソ連下で、本当に酷い目に合って来ました。というか、今も正にロシアに酷い目に遭い続けている状態です。スターリン時代は、計画的なウクライナ人の殲滅のために、軍と秘密警察がウクライナの穀物蔵の農産物を差し押さえ、人工的に起こされて飢饉で、ほんの2.3年の間に1,000万人ものウクライナ人が飢餓によって虐殺されました
第二次世界大戦では、ウクライナは激戦地となり、ウクライナ人はドイツをソ連からの解放者として支援して戦いましたが、ドイツは彼らを利用した挙句、彼らを劣等人種として支配し、ドイツが敗走した後は、ソ連がウクライナ人を大量殺戮して退却していったのです。そして、ウクライナは、あのチェルノブイリ原発事故を経験します。
彼は、ウクライナで子供時代にクラッシックギターを6年間習い、ソ連崩壊目前の1990年 15歳で家族と共にウクライナを離れ、イスラエルへ移住。以来、11年間ギターを手にすることなく、スラエルやヨーロッパなどを転々とし、ドラッグに染まり、ギャングなどと共に暮らしていたそうです。
しかし、2001年9.11の悲劇の直後にニューヨークに渡り、自分の道に覚醒し、ドラッグを断ち切っていきます。ニューヨークの地下鉄でストリートミュージシャンをしていたモスクワ出身のヴァイオリニストのマイケル・シャルマンと組み、2002年9月11日にニューヨークのユニオンスクエアで再び、6弦のアコースティックギターを手にし、9.11一周年ライブを行いました。
その後、アメリカ、メキシコ、インド、イスラエル、ヨーロッパ全土、世界中を旅し、世界中の人々の魂を揺さぶり、彼の灯火の火は人から人へ譲り渡されていきます。今年に入ってウクライナではご存知の様にロシアからの非道な侵犯が行われ、ウクライナ人の老若男女ばかりか、他国の支援者、何も知らずに罪を犯すロシア人など…多くの命が失われ続けています。
Estas Tonneの言葉より・・・
「私の名前は、エスタス・トンネ。束の間、音楽を奏で、この惑星を旅しています。私はストリートて育ち、自分の道を見出せず、学校や社会のシステムに組み込まれることに馴染まず、自分を反逆者だと感じていました。私は、イスラエルで育ちました。私の家族が旧ソ連のウクライナから移住したからです。私は、沢山のドラッグや喧嘩など、ストリートの人生を経験してきました。
私はアメリカに行きました。私には全てを断ち切る切っ掛けが必要でした。だから、アメリカに行ったのです。随分と長い間ギターに触れずにいましたが、再び演奏を始めるようになりました。私には孤独や絶望を感じる瞬間があります。そんな時、私にできることは空虚さを埋めることで、私のイスラエルのバックグラウンドなどを知っている麻薬ディラーの元に行くこともありました。
彼は、チュニジアから来たアラブ人でした。いつだったか、彼は、ドアの階段のところで私を見て、いくつかの事を告げたのです。要するに彼は、私に麻薬を売ることは止めた、と言うのです。彼が言ったことはただ一つ、
"私はTonneがヴェニスビーチで毎日演奏するのを見てきた"と。"君は演奏を続けなければいけない"と感じたと。だから、"もう君には一切麻薬は売らない"と・・・。
ストレートに告げられたのは、自分の頭が10億の欠片になって爆発するのを感じた瞬間でした。
この生のためのより大きな絵があります。なぜなら、善悪を超えて、それぞれの魂は、それ自身の目的をもってここにいるからです。ただ、私は、真実の私自身の深い内面を知ることができるだけ。だから、私は、今日、勇気が湧くのです。なぜなら、外からどんな波が来ようとも、私は続けて行くことを選ぶからです。私は、それらを通り抜けて泳がねばならないのです。」
戦争のない平和な世の中が一日も早く訪れる事を願っています。
※姉妹サイト「BLACKBOX」は、こちらです。
先日のNHK『足元の小宇宙 絵本作家と見つける『雑草』生命のドラマ』ご覧になられまし
たか?京都・嵯峨野の里山で、甲斐という名のおばあちゃんが、人に話しかけるように
雑草たちと触れあい、語りあう…そんな懐かしくて穏やかで温かくなれる番組でした。
ノゲシが風に乗せてタネを飛び散らす様子を、甲斐さんは『綿毛の舞い舞い』と呼んでい
ました。そんな表現をされると、可愛い小動物の様に見えてしまうから不思議です。そんな
植物達のことを、甲斐さんは『この人』とか『彼』等と呼んで笑顔で話されていました。
朝早くから野道を歩き散策することで見つけられた、自然からのご褒美。それは、葉が
吐き出す水玉が、朝日を受けて赤・黄・青と様々に変化する“虹色に輝くキャベツ畑”。
甲斐さんは、日の出前からそのご褒美をもらう為に空き地に足を運びます。
普段、見過ごしてしまう自然の中には、数えきれないほどの小さな命がひしめき、生命の
ドラマを繰り広げています。日々、のっとりや巻きつき、一発逆転と、戦国武将さながらに
それぞれの戦略で空き地の覇権争いを行なっている植物達…。ハイスピード撮影された
映像は、そんな植物達の独自の動きを映し出していきます。
甲斐さんは、草をかき分け、地面に寝転がって、同じ目線になって植物と会話しています。
「植物と人間という違いはあるけど、生きものとしては同じ」と語る甲斐さん。
85歳ながら今も現役で活躍される絵本作家、甲斐さんは、スケッチを始めると5時間、
6時間と夢中になって正確な描写を行なっていきます。うまく描けない時は、植物に向かっ
て『ごめんね』と謝られる姿も、何とも微笑ましく、植物への愛情の深さが感じられました。
いつもニコニコしながら自然の植物達と触れあい、語りあう甲斐さんは、本当に幸せそうに、
甲斐さん自身も生き生きとされていました。語らいの場や会議中、電車の中や歩行中まで
スマホばかりに目を奪われて、自然や足元に目をやることがなくなった昨今。
大切な物…大切な事…忘れてしまっているような…。そんな私たちだからこそ、意識して
自然に目を向ける、歩く時は道端に目を向けるゆとりを持って生きていきたいですね。
『生かされている』のは自分だけではなく、『頑張っている』のも自分だけではない事…
そんな事に気づくだけでも、甲斐さんの見える世界に少し近づけるような気がしました。
BS朝日5月17日放送の『昭和偉人伝 東山魁夷』の回、ご覧になられましたか。私の大好きな
画家の1人です。亡くなられてから18年が過ぎた今も、高い人気を持っていますが、その画家
人生は、決して平坦ではありませんでした。自然と向き合った傑作「残照」で風景画家として
認められた東山さんは、柔らかな色使いや安らぎを覚える独特の画風で、日本画の歴史に一
時代を築きました。
感情のままに生きる父と、耐え忍ぶ母を見て育った幼少時代。病弱だった東山さんの慰めは
絵を描くことだけだったそうです。父の反対がありましたが、担任の先生が間に入ってくれて、
本人の望む洋画ではなく、収入に繋がりやすい日本画を選択する形で美術学校へ入りました。
親への負担を避けるために、挿絵のバイトを描きながらの苦学だったそうです。
在学中に「山国の秋」が帝展に入選。卒業後ドイツ留学を果たし、帰国すると東山さんと会っ
た事もないのに、「こんな絵を描く人なら間違いないから、結婚したい」と恩師の娘に言われ
て結婚。父と兄は相次いで亡くなり、自分も召集令状を受け取ってしまいます。戦車に爆弾を
抱えて飛び込む訓練が続く中、死を覚悟するしかありませんでしたが、奇跡的に終戦まで生き
延びたのでした。
戦後、まもなく母と弟も死去。哀しみの中で、進むべき道を見失った東山さんは、千葉・鹿野山
に登り、眼前に広がる大自然に己の心の姿を見つけ、絵筆を取りました。そんな中で描かれた
「残照」が日展で特選を得ると、これが転機となって風景を題材にした独自の表現が追及されて
いったのです。
1950年に発表された「道」は、よく取り上げられる作品ですが、私は「白い馬」の描かれた
作品が大好きです。風景画家として画壇で認められた東山さんは、ある時、モーツァルトの
ピアノ協奏曲からインスピレーションを得て、連作「白い馬の見える風景」を描いたそうです。
こんな感じの絵なんですよ。
この東山さんの青がたまらないんですよねぇ・・・。済んだ青と白、静かで優しさに溢れてい
ます。『日本画はよく知らないけれど、東山さんの絵は見たことがある』という方は沢山いる
のではないでしょうか。欲しいものとして「白い馬の見える風景 - 東山魁夷」(日本経済新聞
出版社)がありますが手に入らないんですよねぇ。また、増刷して貰えないものでしょうか…
少し前にNHKで放送された『プロヘェッショナル 仕事の流儀』
既にこのブログでもご紹介させて頂いた『るろうに剣心』の回に触れた
作曲家の佐藤直紀さんですが、2度目なので、今日は番組の中で触れられた
3つのキーワードについて書きたいと思います。
依頼に応じて、曲調やスタイルを自在に変え、同じ人の作品とは思えない
ほど豊かな曲を産み出してみせる佐藤さんは、自らを作曲家ではなく、
「作曲屋」と例えていました。正にプロヘェッショナル。作曲の中で、
佐藤さんが貫く流儀…それは、映像を何度となく見続け、映像の中に、
作り手の伝えたい意図やイメージを、ひたすら読み解いていくこと。
映像を見て、その空気や匂いを感じ取って、どんな音楽が一番はまるかを
探り続けるのだそうです。
● あがいてあがいて、あがき抜く
自分を追い詰める。追い詰めて追い込んだ時にアイデアが生まれたり
越えられない壁を乗り越えられたり、視点を変えられたり…よく聞く話です。
佐藤さんは、自分に音楽の才能があると思ったことはないといいます。
まだ駆け出しの頃は、仕事先からいつも、「佐藤さんの個性が見たい」と
言われたそうな。自分の個性とは何か?佐藤さんは悩み続けたそうです。
転機が訪れたのは、10年目につかんだ映画の仕事。求められる曲のレベル
の高さに、佐藤さんは悪戦苦闘しました。ひたすら映像を見続け、体から
絞り出すように、何度も曲を直し続けたそうです。そうして出来上がった
映画は大ヒット。以来、どんな仕事でも最後まであがいて、注文に応えて
きた佐藤さん。いつしか、そのメロディは「佐藤節」とも呼ばれるように
なっていきました。
●「個性は出そうと思って出るものではない。とことんあがき続ける中で
にじみ出てくるものが、個性になるのではないか。」
去年夏、佐藤さんは3年にわたって放送されるNHKの大河ファンタジー「
精霊の守り人」の音楽を作ることになりました。既に第1回が放送されま
したよね。そのテーマ曲で求められたのは、パワー。そして、一度聞いたら
忘れられないメロディ。
45歳の佐藤さんは、自分が作曲家の第一線に立てるのはあと10年が限界だと
考えているそうです。自分に課しているのは、「次の曲は、一つ前の曲を
超える」ということ。常に最高の音楽を目指す覚悟で、1曲1曲に挑んで
いるとのこと。「いいものを作らないと次はないという覚悟は当然あります。
一番新しい作品に関しては、これまでの僕の音楽の中でベストを作りたい。
そこを目指しています。」
● 最新作を最高傑作にする
正にプロヘェッショナル…作曲屋でした。全く生きる世界の違う人ですが
仕事に対する姿勢は、見習わなくてはならないですね。
今更ですが、神輿って釘を使わないのですね
すべて木組みで作り上げられていく神輿は、なんとパーツが3,000にも及ぶとか
神輿の材料の選定は実際に目で見て300年以上経過した目の詰んだ粘りけの
あるものを選び、直ちに製材していきます
その後製材された木材は、工場に運ばれ梅雨時は表で雨ざらしにして木の灰汁(アク)を
抜き、その後、日の当たらない風通しの良い場所で乾燥させるそうですが、神輿の
素材として使用できるまでには、ここから約5年から10年の歳月が必要だそうです
長い間の乾燥を経た木材は、歪みや曲がりといったくせが殆ど出ることがありません
まずは、部分ごとの木質、長さ、幅などを考慮して材料に墨付けを行い、切り口が
材料の表面と垂直で平らになるように墨印に従ってノコギリで部材を切っていきます
木組による厳密な組立が必要な神輿には、重要な作業です
木地師と呼ばれる職人は、神輿の形を作るという神輿づくりの中でも1番の要となる
職人さんで、木取りした木材をひらがきと呼ばれている小刀で部材の形に合わせ墨付け
(線を引くこと)をしていきます。神輿は釘を使わずに木組という技法で作られていくため
ミリ単位の精度が必要とされ、より正確な墨付けと精密な加工技術が要求されます
神輿の木地は大きく分けて 台輪、胴、枡組、屋根と4つに分かれるそうですが、その中でも
1番難しいとされる屋根を作れるようになるまでには、およそ10年の修行が必要だとか
分解して修理や一部取り換えができるように接着剤や釘を使わない木組み工法・・・
本当に日本の職人さんって、凄い業師ですよね
今日9月4日は、クラシック音楽の日です
より多くの人にクラシック音楽に親しんでもらうため日本音楽マネージャー協会が
1990年に制定されたとか・・・。でも、こんな風に言う人もいるんです…8月19日が「クラシック
音楽の日」です。語呂合わせのため、9月4日が「クラシック音楽の日」として認識される
場合も多いようですが、「日本音楽マネジャー協会」の創立40周年を記念してクラシック
音楽の日として設定されたのが8月19日です。と…
まあ、どちらでも私は良いのですが、要するにたまにはクラシック音楽にも触れましょうよ
・・・ということで・・・いつものようにWikipediaで調べるとクラシック音楽
…外語を直訳すると古典的(classical)音楽になりますが、一般には西洋の芸術音楽を指します
「ポピュラー音楽」「軽音楽」の登場で旧来の音楽を区別するためのレトロニムです…と
レトロニム?…とは、ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に
古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指すそうです
段々、何書いているんだか分からなくなりますね〜
クラシックは、産まれる前の胎児に聴かせると頭の良い子が産まれるなんてことを聞いた事が
ありますが、本当かどうかは別として、情緒の安定した子が産まれそうな気はします
映画などを見ていると効果的に使われている物も多いので、こんな日ぐらいクラシックを
意識するのも良いかもしれませんね
ビバルディの四季とか良いですよねぇ
情熱大陸に先日出演していた画家ですが、御存知ですか?
大和絵や浮世絵のようなタッチで、非常に緻密に
人物や建築物などを描き込む画風で知られる方ですが
作品が出来上がるまでの苦悩がひしひしと伝わってきていました
面白い絵を描かれるので、機会があれば是非ご覧ください
番組の中では、もともとの日本の体質に苦しめられた体験も語られていて
昔は『油絵の世界は不自由』、『枠にはめられて窮屈』…そんな事を語られていました
確かに日本の展覧会などを見に行くと、会によって雰囲気が統一されていて
自由な絵が多く見られるものは少ない感じがします
事実として、どうしても日本の油絵は土臭いというか、暗い印象を受けてしまいます
そんな中で、自分を見失うことなく、自分なりの世界を作り上げていくのは
大変だっただろう…そんな事を思ってしまうわけです
大勢があって、それに流されずにしっかり前進していくこと…
苦労が多くても、自分を表現していくためには頑張らなくてはなりませんよね
2012年の今日、5月22日 東京スカイツリーが開業しました
まだ3年しか経っていなかったんですね…
東京タワーの333メートルを遥かに超える高さで634メートル
ムサシと言われて、恐ろしい高さになってしまいましたよね
スカイツリーと言えば、一番見たいのは夜空にライトアップされた姿
江戸で育まれてきた心意気の「粋」(青)と、美意識の「雅」(紫)という
2つの姿が1日毎に交互に現れる新しいスタイルのライティングで
初の試みに果敢に挑んだ照明コンサルタントの戸恒浩人さんによるものです
出来上がるまでの取り組みがテレビの特集で扱われたのを見ていましたが
本当に素晴らしいタワーができて良かったと思っています
日本の美意識のもと下町の歴史や地域性とともに時代を象徴する計画となるべく
陰影の美しさによって表現されたデザインと合わせて、地球環境に配慮した
照明計画であるべきと考え、オールLEDで省エネルギーと美しさを両立するデザインとなりました
LEDを使うことで、タワー頂部の光と二つの展望台を挟んで鉄骨構造体を照らす光が
タワーの裾野に向かってグラデーションを描き地面に溶け込んでいく演出を実現し
江戸の原風景である富士山が雪を頂いた姿を重ねています
また、時を刻む光展望台の上部に並ぶ流星のようなきらめき
これは、一定の速さで周り続け、過去と未来を結ぶ時を刻む光を表現しているそうです
人ごみが苦手なため、私はまだ見に行っていませんが、
この夜にライトアップされたスカイツリーは、一度は見てみたいと思っています…
昼間見たり、中に入っていく勇気はないかなぁ・・・大地震怖いし・・・
1990年の今日5月15日 大昭和製紙名誉会長・齊藤了英さんが
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの『ガシェ博士の肖像』を
絵画史上最高のなんと約125億円で落札した恐ろしい記念日…
なんとなく日本人に絵画って合わない気もしますが意外に人気のようで
先日、私の好きなマグリット展に行って来ましたが
同時にルーヴル美術館展も開催していて大変な混みようでした
そもそもマグリットはダリやキリコとともにシュルレアリスムの巨匠ではあるものの
シュルレアリスム自体それほど知られているわけではないので
さほど混雑していないだろうというのが甘かった・・・
尚且つルーヴル美術館展と同時開催だったために
国立新美術館は大混雑…チケットの購入もさることながら
大行列で入場制限がかかるほど…
マグリット展は、それ程混んでもいませんでしたが
現代のポスター広告に大きな影響を与えているだけあって
お土産コーナーは大混雑…意外な来館者の多さで
好きな絵も適切な距離からゆっくり見ることができませんでした
パンダ初来日じゃないけれど、日本人って行列すきなんですかねぇ…
分かって見に来ている方がどれほどいるのか…なんて思ったりして…
大きな絵画でも作品から1メートルぐらいの距離で列を成して進まれると
離れては人影で見えず、列に入れば近すぎて全体が見えず…
思うに…はなから『これぐらいの距離から…』と分かるように
ガイドラインを引いてしまったら良いのかもしれませんね…
ただし、そんな事をされると専門家にとっては
近づいて技法を探ることができないので困るのも確かなんですが…
ちなみにこの『マグリット展』は、6月29日(月)まで
『ルーヴル美術館展』は、6月1日(月)まで
それぞれ国立新美術館にて行われております
どちらも、かつてないほどの作品数を集めていますので
混雑して見難くても見に行く価値はありますかねぇ…