ティータイム

またまた登場!! 伝説の横川さん、成功の極意を語る

2018-7-20 NEW!

 

6月28日放送のカンブリア宮殿『外食の戦いは終わらない!〜目からウロコの勝ち残る新戦略〜』の回、ご覧になられましたか?5月31日に、このブログで『あの伝説の創業者が、圧倒的な支持を得て珈琲店を急拡大!!』という記事を書いていますが、5月17日放送のカンブリア宮殿『最高の居心地で"珈琲店戦争"に殴り込み 外食レジェンド80歳の再チャレンジ!』の回に出たばかりの、伝説の創業者・横川兄弟の三男、竟さんが、またまた登場してきたのです。

 

激しい生き残り競争を繰り広げ、栄枯盛衰を繰り返してきた外食業界において、注目される新興勢力、攻防史、成功の極意まで...。司会の村上龍さんに、小池栄子さんまでも、特別に取材に出向いてのリポート映像が流れるという珍しい展開でした。また、少し前に出たばかりの横川さんが再登場してきたのは、厳しい外食業界を生き残ってきた、その圧倒的な経験を頼って、様々な外食経営者が横川氏を訪ねてくるという所にありました。

 

80歳にして今も様々な外食企業の研究に余念がないレジェンド。横川さんは、独自の外食チェーンランキングをノートにされており、記録して知ることで良し悪しのポイントが分かるようになると話されていました。また「沢山のメニューがあるのは上手くいかない」とも。盲点は、『本当に売りたいなら絞って拘らないと』と言うのです。そんな、外食産業の栄枯盛衰を半世紀に渡り見つめ続ける中で培った“外食レジェンド”の極意、面白く観させて頂きました。

 

インタビューされる中で語られたのは、たまたま食べていたお弁当に例えての経営術。そのお弁当、ぱっと見は普通のお弁当ながら、食べていくと、その下から次々と、また【おかず】が出てくるのです。「食べて満足する弁当」「食べながら驚く弁当」そこには、『儲けよりも、喜んでもらいたい』というお店の姿勢が見えるというのです。

 

半数のお店が、オープン後2年で閉店。10年間生き残る店は1割に満たないと言われる、厳しい外食業界。私の職場がある神保町でも、生き残るのは大変そうに見えます。番組では、そんな業界に夢を持って挑む若手経営者に、レジェンドの横川さんが直接、店を訪ねて経営指南。こんな機会、望まれる人は沢山いるのではないでしょうか。

 

訪れたのは、小さなシーフードのお店で、客数が伸びずに追い込まれていました。そんなお店の入り口に来たレジェンド。店主が考えた末に置いた「置き看板」に、いきなりダメ出し。「値段も書いていないし、お客さんが知りたい情報がない。」「シーフードなのに、パスタをメインにすることも間違っている。」また、「なぜシーフードなのか?」も問い詰めていきます。

 

「健康的なイメージなのか?」「何のためにシーフードなのかが分からない」出されたメニューにも「メニューがダメ、見てもイメージがわかない」とダメ出しの連発。結局、店主と話していく中で、『農家や漁業の担い手が減っているから、何かの役に立ちたい』…そう語る熱い店主に心動かされたのか『【何のために】が大事』なんだと話されて『頑張って!!』と背中を押されていました。快刀乱麻を断っていく様は、まさにレジェンドそのものでした。

 

番組では、この他、ベイシックスという面白い会社も紹介されていましたが、長くなるので、印象に残った一言だけ。『究極の客目線でなければダメ。どうなのかなと不安になるような立地だからこそ、必死になってやるから【勝てる】。大手チェーンの人では出来ないこと。』…以下省略。番組の中では、この他、こんなキーワードが出ていました。

 

『味、店舗デザイン、接客、それだけでは客は来ない。客に何を提供するのか、提供したいのか、提供できるのかと問い続けること。外食に、「ゴール」はない。』

 

『人が好きでなければだめ。どうやったら儲かるかではなく、どうしたら喜んでもらえるかだ』

 

これって、全てのビジネスに通じる事でもありますよね。
 

 

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Do well by doing good.

2018-6-11 NEW!

 

Innovative TomorrowというBS日テレで放送されている番組をご存知でしょうか?毎回、非常に優秀な人が招かれ、良いお話を聞くことができる楽しみな番組の一つですが、5月28日に登場したのが株式会社オールアバウトグループの代表、江幡哲也さん。オールアバウトは、Web情報の分野に信頼性を導入し、広く深くをテーマにした総合情報サイトだそうで、なんと1301分野をカバーしているとの事。正直、私は知りませんでした…。

 

「一生に何度もないようなことは、経験も、情報も少ないから情報か必要になる」ところがネットで情報を集めようとしても、フェイクも多く専門家による信頼のおける情報がなかなか見つけられない。そんな問題点を解消しようとしているのがオールアバウトなんだとか。オールアバウトでは専門家のことをガイドというそうですが、専門性を極める為に会社を8社に分社し、分けることによって小さくなった組織は、スピードを増しパワーが出やすくなるんだとか。

 

勿論、専門家が増えやすい環境が整い社長も増えます。ナンバー2は、役割を持って、そこを突き詰めていきますが、社長は、360度気をつかわなければ、ならないので、人材育成にも繋がります。問題なのは、放っておくと遠心力をおこし勝手な事をやりだすということ。「遠心力と求心力」というキーワードが大切になって来て「実現したい目標、ビジョンは一つでなければならない」と言います。

 

【個人を豊かに、社会を元気に】それが代表の江幡さんの目指すところのようですが、情報で世直しをしたいとも話されていました。

 

番組ではいつも「思考のコア・自分への問い」について尋ねられますが、江幡さんの問いはこうでした。

 

『動機は善か?』それが力の源になる。善とは皆がおかしいと思うことを、正すこと。すると、MCのパックンが英語で答えました。
【Do well by doing good.】良い行いをして成功する…そんな格言があるとの事。心したいですね。

 

毎回、本当に、とても良い話が聞けますので、見た事のない方は、是非一度ご覧になってください。

 

 

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つらい記憶 

2018-6-8 NEW!

 

『つらい記憶』

 

記憶が、完全ではないから

今も、こうして居られる

それでも、何かがきっかけで

鮮明に蘇ることもある

 

忘れた訳ではない

忘れられるほど、軽い出来事ではなかった

でも、前に向かって歩いていると

また、その記憶も影をひそめてゆく

 

出来る事なら忘れたい・・・

出来る事なら、楽しい記憶だけで良い

また、いつもと同じ時間が流れ始める

みんな、何事もなかったように・・・

 

実は、みんなが違うつらさを背負っている

優劣なんてつけられない

同じつらさだって、重くなったり軽くなったり

でも、みんなが、何事もなかったように過ごしてる

 

負けてられない

折れてなんかいられない

みんな頑張ってるんだから

私にだって頑張れるはず

 

頑張っても報われずに

何も言えずに・・・

去って行った生き物達の分まで

とにかく前に・・・前へ・・・

 

             詩集『道しるべ』より


 

 

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出来ると信じたら8割のことは可能

2018-5-29 NEW!

 

TBSテレビでゴールデンの時間帯で放送されている『坂上&指原のつぶれない店』5月20日の放送分はご覧になられましたか?「街中のつぶれそうなのにつぶれない店」は何故つぶれないのか?そんな素朴な?謎を解き明かすなど“お金”にまつわるバラエティ番組なのですが、なんと先日は、あのジャパネットたかたの創業者が登場してきたのです。

 

高い声と独特の語り口でテレビショッピングの人気者となった元ジャパネットたかたの髙田明社長。3年前にジャパネットの社長の座を息子に譲り勇退したかと思いきや、昨年4月、経営不振で3億円以上の赤字を抱え、倒産のピンチに追い込まれていた別会社の社長に就任し、たった一年でなんと25億円の売り上げをやってのけ、大活躍しているというのです。

 

その会社とは高田社長の地元、長崎県のJリーグチーム「V・ファーレン長崎」。火中の栗を拾ったのは、2017年3月のこと。当時、V・ファーレン長崎はJ2で22チーム中15位と成績は低迷。経営的にも17年1月期の決算で1億3770万円の最終赤字を計上していました。累積赤字は3億2460万円まで膨らみ、一時は選手の給料未払いが懸念されるほど経営が悪化していたとのこと。

 

そんな地元・長崎のチームを何とかしたいと立ち上がった髙田社長は、就任前の観客数が平均で4,000人くらいだったものを、11月には満席の2万2,000人に!さらには、Jリーグの2部リーグ「J2」から「J1」に昇格する、という快挙まで成し遂げ、3億円以上の赤字だった1年前から、今年は何と25億円の見込みなんだとか!サッカークラブの経営はもともと全くの素人という高田社長がどうやって、倒産寸前のクラブを立ち直らせたのか…?!

 

髙田社長が「集客」の為に掲げた、4つの「改革」。
◆その1「駐車場を変えた」・・・駐車場を新たに増やし、無料駐車場を試合3時間前に閉門して早い時間の来場を促し、ゆっくり来られる人は最初から有料駐車場に向かうような流れを作って、渋滞緩和の工夫まで行ったのです。
◆その2「電車を変えた」・・・試合当日は電車の本数も増やし、シャトルバスの整備も行うなどアクセス面を改善。
◆その3「駅からの道を変えた」・・・駅から会場まで歩くという人に対して、地元の人の協力を仰いで様々な「おもてなし」を実現。
◆その4「スタジアム周りを変えた」・・・「ジャパネット」のアウトレットセールの屋台を出店するなど、スタジアム周辺に様々な出店を招いて充実させたのです。

 

また、アウェーゲームにも社長自ら足を運んで他クラブのスタジアム設備を研究。試合前には必ず大勢の相手サポーターと会話し、「アクセスはどう?」「駐車場は?」などスタジアムの情報収集を行い、自分のクラブに活かそうとしていたのです。

 

更には、自らが広告塔となり、長崎のローカル番組にも出演して、試合を見に来てもらうよう宣伝。お客さんを増やすための「改革」を、次から次へと実行し、驚きのV字回復をやってのけた髙田社長…流石でした。高田社長のそうした努力は、集客アップを実現し、クラブのJ1昇格へと繋がっていったのです。

 

MCの坂上さんから「3億円の赤字があって、見込みはあったんですか?」と社長就任当時の心境を尋ねられると、「どうにかなると思いました。計算せずに感覚でいくタイプなんです。出来ると信じたら8割のことは可能。出来ないと思うから出来ないのであって、出来ると信じてやり続けるしかないんですよね」と信念を語っていました。

 

【出来ると信じたら8割のことは可能】

 

シンプルですが、大切なキーワードですね。

 

 

 

 

 

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心も体も【鉄人】だった衣笠祥雄さんの記録をここに

2018-4-27 NEW!

 

元広島カープの鉄人、衣笠祥雄さんが4月23日に亡くなられました。広島生まれで広島カープファンとしては、こうして触れない訳にはいかないので書かせて頂きます。沢山書きたい事があるのですが、箇条書きにして、記録したいと思います。

 

1965年、広島カープに入団。
1974年までの背番号28から、「鉄人(『鉄人28号』より)」の愛称で親しまれるようになる。
1975年5番打者として4番の山本浩二と共に球団初のセ・リーグ優勝に貢献。
1976年、盗塁王のタイトルを獲得。
1979年、対巨人戦では西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折する重傷を負い、全治2週間と診断が下されるが、翌2日の試合で代打として登場。江川卓の投球にフルスイングで挑んで三球三振という記録を残した。試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」と伝説のコメントを残している。

 

・・・全力で突っ込んでいきバットを振り回すだけに、デッドボールも多く受けていましたが、どんな時も怒ることなく、手を挙げて大丈夫であることをアピールしながら、笑顔で1塁ベースに走っていく姿は忘れられません・・・。

 

1982年、12年連続全試合出場を果たし、王貞治の皆勤11シーズンの記録を破る。
1983年、8月史上16人目となる通算2000本安打を達成。
1984年、37歳にして自己最高の打率.329・31本塁打・102打点の成績を残し、打点王を獲得。
1986年6月、2000試合連続出場を達成。
1987年、ルー・ゲーリッグの世界記録を抜いて2,215試合連続出場を果たした。
    また、この年、王貞治さんに次いでプロ野球選手として2人目の国民栄誉賞に輝く。

 

・・・チームメイトの山本浩二とのアベック本塁打は86本を数え、巨人の王貞治・長嶋茂雄の106本に次ぐ日本プロ野球史上2位の記録を残しています。山本浩二さんも凄いのですが、今回の主役は衣笠さん・・・

 

1996年、野球殿堂入り。
2018年4月23日、上行結腸がんにより、東京都内で亡くなられました。71歳。

 

通算三振数は1587個(当時日本記録)、通算併殺打は267(セ・リーグ記録)。通算被死球3位(161)…

 

・・・当てに行く打法ではなくて、とにかく思いっきり振り回す【気持ちの良いスィング】で三振しても笑って許せる唯一の選手でした。球史に残る強打者でありながら通算犠打数は88と、本塁打500本以上を記録した打者の中でも突出して多いのもチームプレイに徹していた事がよく分かるデータです・・・。

 

衣笠祥雄さんの訃報は海外でも報じられており、2632試合連続出場のメジャー記録を保持するカル・リプケンさんからも哀悼の意が表されました。本当に、野球人としても人間としても、とても素晴らしい人でした。

 

謹んで哀悼の意を表します。
 

 

 

 

 

 

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【終活】への理解が深まった『THEドキュメンタリー 終活』

2018-4-26 NEW!

 

ある調査によると『【終活】という言葉を聞いたことがある』という人は全体の9割以上に登る一方、『すでに【終活】を実施している』という人は全体の1割に満たなかったとか。確かに年齢を重ねるにしたがって気になってきた言葉であり、【エンディングノート】なるものは、実際に吟味して親類に差し出したことはあるものの…いざ、自分となると…。

 

今回、番組の中心となって登場したのは、末期ガンから奇跡の生還を果たした小西博之さん。懐かしい欽ちゃんファミリーの一人です。「生きるための活動なら分かるけど、何で死ぬための活動しなきゃならないんだ」と反対側の意見を強く抱いての登場です。「死ぬ事を念頭に置いた活動など、やっとガンを乗り越えてきたのに縁起でもない」という当たり前の考えの様な強めの意思表示です。

 

冒頭で対談する事になったのは『ソナエ』という雑誌を出している【終活】のパイオニア的存在との対談です。ぱっと見、強面の小西さんですから、いきなり否定的な発言で対談相手にプレッシャーをかけはじめた時は、これで対談になるのかと心配させる展開でした。

 

背景としては、一人暮らしが増えてくると、自分の死んだ後の事を考えなければならい世の中になってきたという事。葬儀の小規模化。親の墓と子供の暮らす場所が離れることで生じてしまう、お墓の引っ越し…。最後のお守りを用意しておくことで、何も気にせず生きられるようになる事が目的で、大切なのは、元気なうちにして欲しい活動であって、死を目前にしている状態では出来ない活動なんだと話されていきます。

 

少しずつ、話を聞くうちに【終活】の本当の意味を理解し始める小西さん。そうすると自身の親ともお墓のことで今のうちに話をしておかなければと行動を起こしていきます。

 

【エンディングノート】…その存在も、理解していなかった小西さんですが、説明を聞くうちに「こういうことを考えると親とか子供に優しくなれるね」と感心していきます。そして、とどめは【葬儀VTR】。実際にどの様なものかを観せられると、「いいね!いいね!」を連発。「暗い葬儀がお祝い事になるじゃないか!」と絶賛です。

 

対談を終えて漏らしたのは「死ぬことに自分で心を閉じていた」そう話したのです。終活は死ぬ準備ではなくて、一度リセットして、感謝するため、ありがとうのためだと話す小西さん。これまで大切にしてきた思い入れのあるバイクも、息子にあげる気持ちになれました。物への執着心が無くなるということか、細かい事が決まっていくと楽になって、残りの人生を心安らかに過ごすことができる・・・いわば「お守り」のような物なんだと笑顔で話すようになっていたのです。

 

小西さんの年齢は、私とほぼ同じ…。番組の後半では、銀座終活座というところで実際に御自身の【葬儀VTR】を撮影されていました。番組では、他にも登場人物がありましたが、年老いて伴侶に先立たれた人が、遺品を整理していく中で【終活カフェ】で相談したり、断捨離をすることで、自分の身に何かあった時に、自分の子供にまで、余計な苦労をさせたくないと考えたり…。ほかにも【生前契約】という「りすシステム」が扱う正式な委任契約が紹介されたりと中身の濃い展開でした。

 

家内が母親を亡くした時に、家内の父親に「エンディングノート」を渡したことがあります。家内の母親のお墓は、未だに仙台に作るか私の家の近くに作るか決めかねている状態です。少しでも早く、元気な時に話し合う機会を作って、笑顔で話せるように展開していく事、大切かもしれませんね。身近な年寄りだけでなく、つい先日も右ひざの半月板が断裂して足腰への負担が更に拡大している私。小西さんではないけれど、自分自身に関する【終活】にも、しっかり目を向けて…一歩踏み出す勇気が必要かもしれませんかねぇ…
 

 

 

 

 

 

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安楽死【リビング・ウィル】を扱った映画『終の信託』を観て

2018-4-13 NEW!

 

先日、映画『終の信託』(ついのしんたく)を観ました。朔立木さんによる小説を映画化したものです。単行本は当初、『命の終わりを決めるとき』というタイトルで刊行されていたそうですが、2度目の文庫化の際、『終の信託』と改題されています。ネタバレしても問題ないと思いますので物語のご紹介・・・。

 

主役の女医綾乃は未婚でしたが、同僚の医師と長年愛人関係にありました。しかし、中年となった綾乃は、冷たい言葉で簡単に捨てられてしまいます。失意の綾乃は、あてつけのために病院で自殺を図ります。幸いにも看護師に発見され、一命は取り留めますが、いつの間にか職員はおろか入院患者までも知るところとなって、肩身の狭い思いをすることになります。そんな綾乃に、唯一向き合ってくれたのが喘息で入院している江木でした。

 

江木は、慢性だった喘息が急性化していることに気付いていました。自分に死期が迫っていることを感じた江木は、綾乃に語りかけます。「妻は私が死んでも働けるような女ではありません。入退院を繰り返している私は、3年間働いていないので、医療費は大変な負担です。」、「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と懇願するのでした。空気の良い田舎の環境を綾乃は薦めますが、家族は受けいれません…。

 

数か月後、江木は心肺停止となって緊急搬送されます。一命は取り留めますが、人工呼吸器に依存しなければならない状態が続きました。綾乃は江木の最期の願いを思い出し、医師として、人間として選択すべきはどちらなのかと思い悩みます。そして、綾乃は江木の妻に彼の病状を伝え、子供を呼ぶようにと伝えました。

 

翌日。家族の見守る中、綾乃は江木に付けられたチューブを引き抜きます。しかし、その直後、意識のないはずの江木が苦痛のあまり暴れはじめたのです。綾乃は江木を押さえつけ、鎮痛剤と鎮静剤を投与します。江木は家族と綾乃が見守る中、息を引き取りました。

 

3年後、綾乃は検察庁に呼び出されました。内部告発でした。問題となった行為は、鎮静剤の投与でした。延命治療を望まない患者の生命維持装置を外すことは、消極的安楽死と認められることだったかもしれませんが、脳死でもなければ植物状態でもなかった患者が一度息を吹き返したにも関わらず鎮静剤で止めを刺したことで、綾乃は殺人罪に問われているのでした。

 

綾乃は江木に生きていて欲しかったことや、彼の願いから、楽にして挙げたかったことなどを必死に訴え、反論します。しかし、塚原検事は、それを認めてはくれませんでした。その理由は、被害者が死に瀕していたとは言えないこと、被害者の最期の状態を見る限り、生きようとしたといえるのではないかととれること、被害者が死を望んでいたことが綾乃自身の証言しかないことなどがあげられました。

 

綾乃は20日にわたる勾留の後、起訴されました。江木の妻は61冊に上る江木の喘息日記を法廷に提出します。その最後のページには「延命治療を望まない」というリビング・ウィルに相当する一文がありましたが、回復の見込みが完全になかったわけでもなく、家族への説明も不十分だったとし、執行猶予付きの懲役2ヶ月の判決が下されたのでした。

 

主役の綾乃は草刈民代が演じ、江木を役所広司、検事役の塚原は大沢たかおが演じるという豪華な顔ぶれ。勿論、申し分のない演技でした。映画が良かったかどうかは別として、というか、不倫関係の描写はそんなにいらなかったかなとは思うものの、命や患者と向き合う医師、問題を抱える家族…とても考えさせられる中身でした。

 

映画の中では江木の両親や幼くして亡くなった妹の逸話などもあり、江木の心の傷の深さが…何気ない一言が、その人の人生にどれほどの影響を与えてしまうのかといった所まで考えさせられるものでした。とても悲痛な中身で重い映画でしたが、沢山の事を考えさせられる物でした。

 

エンディングノートなるものが随分と取り上げられるようになってきていますが、こういう物は、どうやら早めに残しておいた方が、残される人たちにとっては大切な事なんだと気づかされた気もします。私も、もう書いておいた方が良いのかなぁ・・・。
 

 

 

 

 

 

 

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外国人にも支えられた3.11…因果応報

2018-3-13 NEW!

 

3月6日放送のアナザーストーリーズ・運命の分岐点『外国人から見た3.11』の回、ご覧になられましたか?あの2011年3月11日、日本のために行動し、支援してくださった多くの外国人たちの知られざる物語が今回の題材。東日本大震災における、海外から支援の手は128にも及び、震災発生の翌日から次々到着した救援隊や救援物資。今回初めて見る映像もありました。

 

アメリカ軍による救援作戦「トモダチ作戦」では、最大時、将兵2万4千人が投入されました。アメリカ海軍第7艦隊に所属していたトム・バーク氏は、空母「ロナルド・レーガン」の艦長。韓国での合同軍事演習に向かう途中で震災の一報を聞いたバーク氏は、高度に政治的・軍事的判断で決められている空母の進路を、急遽、軍としては通常有り得ない、日本に向かうという決断を独断で下してくれます。

 

万が一その間に不測の事態が起きれば、責任を問われるという事も覚悟をしての行動だったのです。それでも、そうした勇気ある決断があったからこそ、地震後 僅か40時間という短さで駆けつけられるという奇跡を成し遂げたのです。お蔭様で救援物資の輸送には大貢献。放射能の恐怖が流れる中も、この艦長は自らヘリに乗って先陣を切っていくのですから、凄い人です。

 

番組では更に世界に正しい情報を伝えようと福島第一原発に肉薄したジャーナリストジャーナリストのデイヴィッド・マクニールさんの話。東京はゴーストタウンとなっている等、間違った情報も混在する中、海外に正確な情報を発信しようと福島第一原発の至近距離に迫り、被災地の窮状を伝えてくれました。自分の家族と離れてまでの素晴らしい行動です。

 

また、台湾で募金を呼びかけた当時中学生の少女…。日本で震災が発生したと聞き、涙した台湾の少女は、自分にも出来ることはないかと考えたそうです。遡る事1999年。台湾中部で2,400人以上が亡くなった災害時、世界で最も早く被災地に駆けつけたのが日本でした。真摯に復旧を助け義援金を送った日本人の姿を多くの人々が覚えていてくれたのです。

 

そして 最も被害が大きかったのが少女の中学校がある東勢地区だったのです。テレビ各局も 日本への募金を呼びかけ、チャリティー番組を制作。こうして 200億円を超える義援金が集まったそうです。因果応報…仏教用語で、原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとすることわざ。善悪の原因に相応する楽苦の結果と考えると、自らの日頃の行いもしっかりしなければダメですよねぇ…。

 

何よりも、これまであまり報道されてこなかった外国人による支援の実態…感謝の気持ちで一杯になります。有り難うございました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

『音』・・・詩集『道しるべ』より

2018-3-8 NEW!

 

『音』

 

カーン ガタガタガタ

ヒュー ミシミシミシ

ピー ワンワンワン

 

沢山の音が鳴っている

でも・・・

彼の耳には届かない・・・

 

ガーン ドドドォー

ザブーン ゴォゴォゴォ

ガウー ゲロゲロゲー

 

絶え間なく鳴り響く音

でも・・・

彼の耳には届かない

 

何を聞こうとしているの?

 

いつも一点をジーッと見つめている

私には見えない何かを・・・

そう・・・

私には聞こえない何かを

選ばれた音を聞いているのかも知れない

 

彼は言う・・・

静かにして・・・

そうすれば気づくはずだと・・・

 

静かに 静かに・・・

 

            詩集『道しるべ』より
 

 

 

 

 

 

 

楽しむためには全てのストレスに勝つ

2018-3-6 NEW!

 

先日、NHKドキュメンタリー、GREAT RACEのシリーズをまたまた見てしまいました。再放送ですが「熱砂の海を走り抜け!ナミブ砂漠250km」。今回のレースの舞台はなんと熱砂の海、アフリカのナミブ砂漠。

 

無駄に力を入れても、かえって砂の中に足が深く沈んでしまって、思うように走れない砂の壁…。42℃まで上昇する猛烈な暑さの中、目標となるフラッグさえも小さくて見失ってしまったり、更には悪天候もあったりで、自分が参加したいとは全く思わないのですが、つい見てしまう不思議な魅力…。今回は、全行程250kmを6つのステージに分けて走り抜き、各ステージの合計タイムで順位を競うというものでした。

 

またまた、こうしてこんな過酷なレースをブログでご紹介したくなったのは、飯野さんという日本人が大活躍したから…というよりも、こんな酷いレースに参加していた71歳の石原さんのメッセージをお伝えしたくて…。2016年で71歳ですから、今年73歳になられるのでしょうか…。

 

そもそも、こんな過酷なレースにご高齢と言っては失礼なのかもしれませんが、71歳の方が参加しようと思うだけでも驚きです。石原さんがGREAT RACEに参加するようになったのは確か50歳を過ぎてからと言われていたような気がしますが、第1ステージのゴールまでで6時間25分のランニング。200人以上が参加する中、143位で第1ステージを終えていました。石原さんはドキュメンタリーの中で、走りながら色々と物凄い事を言われていました。

 

最初の2日間は、砂漠とは言っても、それほど砂地ではなかったのですが、3日目に突入すると、いよいよ足を吸い込もうとする砂地へ…すると、石原さんはこう言われたのです。

 

「やっと砂漠らしくなってきた」

 「今日は楽しいコースだ」

  「景色もいいしね これじゃなきゃ」

   「71歳が こんな頑張らなくていいんだけど」

 

・・・レースも5日目後半に入ってくると…

 

「こういうレースは体力だけじゃない」

 「楽しむためには全てのストレスに勝つ者が勝つ」

  「そこが面白いところ」

   「痛さ かゆさ 汚さ」

    「人がやるのが難しいのをやり遂げたみたいな」

     「してやつたり みたいな感じや」・・・

 

なんかレースの教訓というよりも、もはや人としての生き方みたいなものを感じたんですよね。

 

レースの結果は先程もお伝えした飯野さんが1位でトータル走行時間が22時間28分。なんと4位も日本人の若岡さん走行時間28時間20分。女性の部でも日本人の井土さんが第4位で走行時間31時間23分。そして、あの石原さんは前半から更に順位を上げ123位、トータル走行時間50時間33分で見事に完走。日本人大活躍の大会でした。蒸し暑い日本で培った底力なんでしょうかねぇ…。

 

「楽しむためには全てのストレスに勝つ」こと…暫くは頭の中に焼き付いていそうです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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