11月29日放送のカンブリア宮殿『絶品スイーツを陰で支える魔法のオーブン!倒産を乗り越え生み出した"大逆転ものづくり"』の回、ご覧になられましたか?エス・コヤマ、ツマガリ、きのとや等…全国屈指の有名菓子店の御用達となっているオーブンが、今回の主役、福岡県にある七洋製作所が作り上げたオーブン「南蛮バッケン」。
価格は他社製品の2.5倍と高価ですが、「驚くほど"しっとり&ふっくら"と焼き上がる」と全国のパティシエたちが憧れる窯なんだそうです。多くのパティシエに支持される最大の理由は、窯の中の温度を一定に保つ驚異的な密閉性と、電気ヒーターをコンピュータで制御し、正確に焼成していくことが可能な点にあります。
更に、職人が一度手動で焼き上げると、その温度変化を完全に記憶し、次から全自動で微妙な焼き加減を再現してくれるというのですから大したものです。関西の超人気店エス・コヤマでは、この「南蛮窯・バッケン」を7台も導入し、圧倒的な柔らかさで、有名な「小山ロール」を作り、「クリームは他でマネできても包んでいるパンケーキの部分は他では味わえない」と客を魅了しています。
そんな七洋製作所の品揃えは、いまや大量生産向けの巨大なものから、家庭でも使える小型オーブンまで様々。家庭用は50万円からと、かなりお高めではあるものの、こだわりの主婦なら、旦那様がお祝いで買ってあげようものなら、虐げられてきた旦那様も、きっと神の様に崇めて頂けるのでは・・・
七洋製作所の前身は、現社長の父・善次が1950年に創業したせんべいの製造販売を生業とする内山商店。ある時、善次は、順調に拡大していたせんべいメーカーから機械メーカーに転身してしまいます。しかし、その経営は厳しく、会社は2度の倒産に見舞われてしまいます。そんな中で善次は最後の望みをかけ、せんべいメーカーで培った「火」のノウハウを駆使した、今までにない菓子の焼き窯の開発に没頭し、密閉性の高い「南蛮窯」を完成させていったのです。
ところが、南蛮窯を完成させた善次は、病に倒れてしまいます。そんな父の南蛮窯を受け継いだのが、20代の息子で現社長の素行さんでした。素行さんは、南蛮窯を売り込むために、火の調整が難しい“カステラの製造”に目を付け、カステラを自動で焼ける窯として、トラックで全国を巡って実演会を開催するなど猛烈な営業を仕掛けていきます。実際に購入したお店の人は、目の前で見事なカステラが焼きあがった事に衝撃を受け、購入を決めたと話されていました。
素行さんは、甘んじることなく有名パティシエに通い詰め、必死で改良を重ね、これまでにない、絶品を生み出す魔法のオーブンを、父親の意志を継いで作り上げていったのです。家業をせんべいメーカーから機械メーカーに変貌させた父と、父親の"魔法の窯"を信じて改良し、"しっとり&ふんわり"焼き上げる「南蛮窯」に進化させた2代目の【感動を呼ぶ親子2代のタッグ】があったからこそ出来上がった「絶品を生む魔法のオーブン」。素敵な話ではありませんか。
また、七洋製作所は、窯を買ってくれた店を「儲けさせる」ことにも、拘ってきました。例えば、店を繁盛させるための「南蛮塾」という勉強会を開催するなど、様々な分野で購入店をサポートしているのです。最近では、「菓子の生地も提供してほしい」との要望を受け、手軽に美味しく焼ける“焼き菓子の生地”や“ケーキの冷凍生地”まで作り、窯を買ってくれた店を支援しているそうです。
こうした購入店を支援する七洋製作所の噂を聞きつけ、いまやパン業界からもラブコールがかかり、これまでに無い「魔法のパン焼きオーブン」まで生み出しています。社長の金言は「他より3倍高くても そこに価値があれば売れる」ということでしたが、「良いものを作ると、一生ものになってしまうために、再購入してもらえない」とこぼすシーンもあり、それでも・・・だからこそ開発に力を入れている七洋製作所。
作り上げた製品の名前に「BACKEN」「ZEN」「SEVEN」「OCEAN」と名前の最後にNが付くのは「”運”が付く」からと笑顔で語る素行さん。お菓子もパンも作った事のない人がここまでの事を成し遂げてしまうのですから、拘りが奇跡を産むこともあるんだなぁと思ったのでありました。
うちの家内にも家庭用オーブンを買って、少しは優しくして貰いたいとも思うのですが…現状では宝くじでも当たらない限り、お小遣いだけでは到底無理なお話でして・・・。また、万が一、奥様から逆に要求されてしまった場合は、「プティ・バッケンの使用には200Vの電源が必要みたいだから、うちでは難しいよ」と言い訳の準備まで考えたりして(^ ^;)・・・。ただ、「思い切って購入して、お店をやろう!」なんて安易な考えは、控えた方が良いですよ。心・志あっての商売ですからねぇ。
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11月20日放送のアナザーストーリーズ「“北斗の拳”誕生~舞台裏のもう一つの“格闘”~」の回、ご覧になられましたか?
漫画「北斗の拳」は、少年ジャンプに連載された格闘漫画で、アニメ化もされ、その人気は社会現象にもなりました。私はアニメで見ていた側ですが、人生が変わるほど心を揺さぶられたという人も少なくないと言われるほど、迫力あるタッチとユニークな雄叫び、そして名セリフの数々が、そこにはありました。多くの読者を惹きつけた陰には、伝説的な編集者・堀江信彦の力も…。いつもの様に、3つの視点から名作漫画誕生の舞台裏に迫るアナザーストーリーでした。
21歳の無名な漫画家の隠れた才能を見抜いたのは、編集者の堀江信彦でした。子供の頃から絵が得意だけど物語を作るのが苦手だった原は、イラストかマンガで生計を立てようと漫画家を志し、堀江のもとを訪ねたのです。原は、堀江から漫画家のアシスタントの仕事を紹介され、腕を磨き、読み切り漫画を発表して賞をもらうまでになっていきます。
やがて原は、ブルースリーと松田優作への強い憧れから、中国拳法のマンガを描きたいと希望しますが、堀江からは当時ブームになり始めていたモトクロスのマンガを描くように薦められ「銀のドンキホーテ」で初めての連載にチャレンジしました。ところが、人気が出ず、僅か10回で連載打ち切り。連載打ち切りを決断したのは堀江でした。通常なら、連載打ち切りは漫画家生命を絶たれるようなもの…。
原は、今度こそは、自分が一番描きたい中国拳法のマンガで起死回生を図りたいと願い、読み切りマンガで「北斗の拳」を発表します。そして、見事、人気投票で1位を取っていくのです。読み切りでは高校生だった主人公でしたが、半年後にはお馴染みの設定で「北斗の拳」の新連載がスタートしていくのです。
鬼の編集者・堀江は、原にマンガを描くことに集中させるために、描く側とストーリーを考える側で分業させる事を思いつき、原作を武論尊(ブロンソン)に依頼していきます。武論尊という名前もユニークですが、面白い人物で、航空自衛隊で7年務めたあと、そこで知り合った漫画家・本宮ひろしの所に転がり込んで殆ど仕事もせず、場を笑わせては和ませる事をメインとして生活していました。そんな、漫画を描くことが苦手だった武論尊に対して、堀江はマンガ「北斗の拳」の原作者の仕事を勧めたのです。
武論尊は、映画「マッドマックス」の主人公のようなイメージで拳法の達人を格闘させるストーリーを作り上げていきます。そんな武論尊が、原の仕上げたマンガを見て、自分のイメージを超越した絵の迫力に圧倒されたと言います。武論尊は、「負けてはいられない!」とストーリーや新たなキャラクター作り、決め台詞に力が入っていきます。
編集者として、堀江は原と武論尊の良いところを引き出していきました。この堀江さんなくして名作「北斗の拳」は生まれなかったと言っても過言ではないのですが…正直、いじめではないかと思われるくらいの接し方だったような気もして、視聴しながら「酷いな、こいつ」と思わず口にしてしまったほど。
それでも堀江の連載期間中は、二人を会わせず、全て間に入って調整という流れが、互い互いの仕事をリスペクトしながら更に良い物を産み出していくという展開に繋がっていたのです。原の考えた妙な「雄叫び」、武論尊の考えた「名セリフ」いくつかご紹介しておきましょうか・・・
まずは「雄叫び」・・・
「あべし!」「うわらば」「ひでぶ」「あたたたたーーっ!!」「ひょげえべべべ」「なにをばら」・・・
本当に変な雄叫びばかりですが、他の作者にも「シェー」とか変わったものがあったから、色々考えるのも楽しみだったような・・・。
そして、武論尊の考えた「名セリフ」・・・
「お前は もう死んでいる!」「わが生涯に一片の悔いなし!!」「何人の命を助けることができるのか。それが、俺の生きていたという証だ!!」「いつか必ず明るい明日がくるって...
そう信じて生きてきたじゃないの。最後の最後まであきらめちゃだめ!!」
そんな、魅力満載だった「北斗の拳」で人生が変わった人たちが、番組の最後で紹介されていました。思えば当時、私の周りのあちこちで、何かある度に、この名セリフが口にされていましたっけ・・・。「わが生涯に一片の悔いなし!!」・・・そんな生き方、憧れますねぇ・・・。
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11月20日放送のNHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」ご覧になられた方は居られますか?重度の自閉症である東田直樹さんは、人と会話をすることはできませんが、なぜか、文字盤を使えば豊かな表現力を発揮することができます。勿論、世界的にもまれな存在です。24歳になり、プロの作家となった東田さんは、自閉症のみならず、様々なハンディを抱える人たちがどう幸せを見つけていけばいいのか、エッセイや小説を書いています。今回の番組は、そんな東田さんを2年前に取材した番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」の続編となります。
前回の番組が、芸術祭ドキュメンタリー部門大賞を受賞した10日後、番組ディレクターである丸山拓也さんはガンと診断されました。丸山さんが、がんと診断された当時は、肺や肝臓にも転移し、5年生存率は5割以下という厳しい状況だったそうですが、大量の抗がん剤と手術を行い、1年間の闘病を経て、何とか職場復帰を果たすことが出来ていました。しかし、今も治療の後遺症や再発の恐怖に苦しんでいるんだとか…。もう体力勝負のテレビのディレクターはやめた方がいいのか、家族と静かに暮らした方がいいのか、色々な不安が頭をよぎったそうです。
自身の病気とどう折り合いをつけて生きていけばいいのか、これからどんな人生が待っているのか、大きな不安に囚われたときに、2年前に取材した東田さんの姿をもう一度見つめ直したいと思ったそうです。病院のベッドでも、丸山さんはしばしば東田さんの本を読み励まされたんだとか。自閉症というハンディを自分の強さに変えた東田さんから、ディレクターである丸山さん自身が沢山のことを学べるのではないか、そしてそれは、生きづらさを抱える多くの人にとっても普遍的なメッセージになるのではないかと考え、続編の制作に繋がったのです。
遡る事2年前…13歳の時に書いたエッセイが、同じ自閉症の息子を持つ、アイルランド在住の高名な作家デビッド・ミッチェル氏の目にとまり、翻訳され、世界30カ国でベストセラーとなりました。『なぜ、自閉症の人が、パニックを起こしたり頭を机に打ち付けるのか?』その答えが、その本にはあったとデビットさんは話されていました。東田さんは謎に包まれた自閉症の世界を明かし、世界に衝撃を与えたのです。
東田さんは、圧倒的な言葉の力を持っている人でした。人と直接、会話することがない分だけ、自分の頭の中で様々な出来事をどう捉えるか、自問自答を繰り返してきました。その過程の中から生まれた言葉は鮮烈です。番組の中では、作家のデビットさんや、ディレクターの丸山さんからの質問に対して、明確に突き刺さる様に答えていきます。丸山さんが、親やお婆さんよりも早く死ぬかもしれない…命を繋げないのではないか…不安になって質問すれば・・・
「僕は命というものは大切だからこそ、繋ぐものではなく、完結するものだと考えている。命が繋ぐものであるなら、繋げなくなった人は、どうなるのだろう。バトンを握りしめて泣いているのか、途方にくれているのか。それを思うだけで、僕は悲しい気持ちになる。人生を生き切る。残された人は、その姿を見て、自分の人生を生き続ける」…と、直樹さん自身の孤独な決意が力強く綴られていました。
「夢から覚めて、いつもと変わらない朝に感謝することから、僕の一日は始まります。」そう話す東田さんは、以前、夢で健常者の自分の夢を見て、目覚めて悲しくなっていたけれど、今は、夢の中でも自閉症の自分として登場するようになったんだとか。そう言えば、昔、似た言葉を耳にしたことがありました。その人は重い病を患っていた方で、寝ている間に命を失う事も十分考えられる方。その人が言っていた言葉も、「朝、目覚めて、自分の命が途絶えず朝を迎えられたことに涙し、感謝する事から一日が始まる」というものでした。
13才の自分に送る言葉を尋ねられると
「”ありのままで良い”と思っていましたが、人生は短い…。辛すぎるときに、”ありのまま”とは言えない…。だから、”君が乗っているブランコもいつかは止まる。それまで一生懸命こぎ続ければ、同じ景色も違って見える”と僕は教えてあげたい」そんな風に答えていました。
“価値観”についても色々と教えてくれました。病気を持っている本人と、周りの人の価値観は同じではなく、押し付けてはいけない。認知症のお婆さんの気持ちを勝手に分かろうとしていた自身の思い込みについても、不幸だと決めつけていた自分に気づいていきます。認知症でも”優しさは変わっていない”悩むのは本人以上に周囲の人々なのかも知れないと…。
番組の最後では、ガンになった丸山さんが言葉を求めると東田さんは、こう話されました…
【人はどんな困難をかかえていても、幸せを見つけ、生きることができる】
生きづらさを抱える多くの人にとって、普遍的なメッセージになるのではないかと考えていたディレクターの丸山さん。期待通りの言葉が、そこにはあった気がします。私みたいなオヤジですら、その言葉を聞いた瞬間、ゾクゾクっと鳥肌がたつほど感動してしまうのですから・・・。せっかくなので、以下、東田さんの著書を是非読んでみたいという方へ・・・
『自閉というぼくの世界』(エスコアール出版部刊)
『この地球にすんでいる僕の仲間たちへ』(エスコアール出版部刊)
『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部刊)のち角川文庫
『自閉症の僕たちが残してきた言葉たち』(エスコアール出版部刊)
『ヘンテコリン』(エスコアール出版部刊)
『続・自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部刊)のち角川文庫
『あるがままに自閉症です 東田直樹の見つめる世界』(エスコアール出版部刊)
童話『勇気はおいしいはず』(小学館)
詩集『みんなの知らない海の音』(朝日新聞社)
童話『きらんきらん・赤い実』(小学館)
絵本『きかんしゃ カンスケ』(交通新聞社)
絵本『カンスケとあかいはっぱ』(交通新聞社)
絵本『カンスケとカタツムリくん』(交通新聞社)
絵本『カンスケとゆきこちゃん』(交通新聞社)
絵本『カンスケのクリスマス』(交通新聞社)
エッセイ『風になる』(ビッグイシュー日本)
『跳びはねる思考』(イースト・プレス)
詩集『ありがとうは僕の耳にこだまする』(株式会社KADOkAWA)
・・・・・
私には、統合失調症の甥っ子がいます。病気は違うけれど、東田さんの本・・・読んでみます。
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さてさて前回の続き…「世界最大の鉄道会社JR東日本 その2」になりますが、今日は、10月25日放送の「JR東日本 第2弾!客に愛され、地域に愛されるポッポ屋へ!」の回から書かせて頂きますね。
国鉄と呼ばれていた時代…「駅の物販」と言えば、キオスクで売る会社員向け新聞・雑誌や牛乳・ガム等が一般的でしたが、今の駅構内には、女性が大好きな最新のスイーツからおしゃれな雑貨まで、デパートと見まがうような魅力ある店舗が並んでいます。駅での退屈だった待ち合わせ時間も、今では、色々なお店の中を覗いているだけでも充分過ごせてしまうほど…。
乗換駅にしても、ただ通過してしまうには勿体ない気さえしてしまいます。そんな駅の常識を変えたのが、JR東日本の駅ナカを作り上げてきた「エキュート」の女性チーム。立ち食い蕎麦等、男性中心の世界だった駅構内だったからこそ、女性をトップにして改革を行ったそうです。
一方、かつて鉄道会社のお荷物として切り捨てられてきた地方の赤字ローカル線でも常識破りの取り組みが行われてきました。民営化以後のJR東日本では、不採算の地方路線を地域住民とタッグを組み、魅力ある観光路線に変え、路線を維持してきたのです。危機に瀕するローカル線があれば、廃止ではなく、復活させるために観光列車を投入。
地元の人も、やってくる車両に「感謝を込めてお迎え」と旗をふる光景。1997年五能線「リゾートしらかみ」…廃止寸前だったローカル線は、日本で一番人気のローカル線となっていました。海岸線ギリギリを走る絶景と、地元ならではのサプライズは、地域の人と相談を重ねながら生まれていった観光列車だったそうです。
そんなこんなで、今や20種類もの地域色豊かな観光列車が、路線の維持だけでなく、地域再生にまで貢献しているといいます。景色の良い「リゾートしらかみ」それに超豪華な「TRAIN SUITE 四季島」…電車ならではの景色と共にゆっくり流れる時間を、生きているうちに夫婦で体験できたら良いなぁとの憧れさえ・・・
忘れもしない東日本大震災…あの時、営業中の新幹線は一本たりとも脱線することはありませんでした。近年、JR東日本が力を入れているのが、安全への投資なのです。2019年までの5年間で、その額は、実に1兆円とのこと。更に、管内80箇所で運転士向けに配備を進めるのが事故シミュレーター。また、運行中でもレールの異常を検出できる特殊センサー車両も導入を進めているそうです。
極め付けは、インパクトのある教訓となろう「過去に事故を起こした車両」を展示した「社員向けの展示館」。JR東日本が、安全関連施設に惜しげもなく資金を投じてきたのは、冨田会長が目の当たりにしてきた数々の事故経験からでした。大惨事から学び、究極に安全な鉄道を目指し、国内の鉄道事業者として圧倒的な存在感を示すJR東日本。
そんなJR東日本は、海外への“輸出”にも力を入れていました。インドネシアに日本の中古車両を大量に走らせ、ベテラン社員が現地スタッフに保守点検技術を伝承する取り組みがあれば、イギリスでは、正確で安全な鉄道運行システムを現地の鉄道に提供。さらに、駅弁文化まで発信して、日本の鉄道の魅力を伝えようとしています。国鉄時代では絶対にありえなかった展開です。
社長の金言
「小さなイノベーションが大きな力になる」
心に残る、説得力のある言葉でした。
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10月18日 放送のカンブリア宮殿『史上最悪から史上空前の鉄道会社へ!〜民営化30年...攻め続けるJR東日本〜』の回、ご覧になられましたか?1日12,000本の列車で年間64億人をも運んでいる世界最大の鉄道会社JR東日本。"鉄道の復権"を掲げ、民営化から30年...空前の変化を遂げるJR東日本が今回の主役でした。あまりにも内容が盛り沢山だったので、今回は前半後半と2回にわたって放送され、ですので、こちらでも、「その1」、「その2」と2回にわたって書かせて頂きたいと思います。
年間64億人を運び、年商3兆円に迫る世界最大の鉄道会社JR東日本。社長の金言にもありましたが、巨大組織「国鉄」の改革は “社員の心”の改革から始まったようです。民営化前の国鉄時代は、お客様目線ではなかった為、労働争議とストを繰り返し、積み上がった債務は30兆円。その影響で地方のローカル線は、次々と廃止に追い込まれ、まさに”最悪の鉄道”でした。
そんな状態に、危機感を抱いてきた若き国鉄マンの1人が…今JR東日本の会長を務める冨田さんでした。国鉄時代の失敗を繰り返さないため、民営化後、徹底的な攻めの姿勢で結果を出してきました。最大の戦略は“鉄道の復権”。つまり、より鉄道を便利にし、人口減少による定住人口が減っても「交流人口」、「移動人口」を増やすことで、鉄道の収益を伸ばしてきたのです。
例えば、上野東京ラインや湘南新宿ラインの開通で便利になった“武蔵小杉”には、高層ビル群を出現させ、3年前に開業した北陸新幹線では、金沢駅に毎日2万人の新たな人の動きを作ってみせました。魅力的な宣伝も多く、私も金沢に行ってみたいと思ったものです。また、東京駅では、デパ地下に負けない膨大な面積を誇る商業施設グランスタがありますが、今もなお、その地下に新たな商業施設を産み出そうと掘削工事を続けていたのです。そんなに地下を掘りまくって大丈夫なのかとも思いましたが、こうして新たに生み出した商業サービス部門の年商は、既に5,000億円にまで達しているんだとか。
デパ地下なみの駅ナカを作るときは周辺の商店街から反対があったそうですが、「駅が人を集められれば、必ず街にも人が広がる」と信じて成功に至ったそうです。これまでにない徹底した顧客目線のサービスを生み出してきたJR東日本…。2001年にスタートしたご存知Suicaは、驚きの電子マネーとなって、今では鉄道に限らず、マクドナルド、自販機、コンビニからスーパー、外食店から、日光東照宮までと驚きの広がりを見せています。圧倒的な安さを誇る「大人の休日倶楽部」も60歳以上3割引きと…使える年齢になったら、是非、夫婦であちらこちらと行ってみたいものです。
そんなJR東日本が管轄する東京駅には、知られていない“すごい”が数多く存在しているとのこと。最近は上野駅ばかりで、私には遠い駅となっていますが、全国の駅弁を東京駅に集めて販売する「駅弁屋・祭り」というものがあって、そこには、早朝五時半の開店にも拘らず、開店前から既にひとだかり…それも毎朝のように行列ができるんだとか…。また、ご存知の方も多いと思いますが、新幹線ホームでは、わずか7分で芸術的な清掃をするチームが今日も動き回っています。
中央線の武蔵境~国立間の高架下の小金井ノノワ…今続々と魅力的な人気店が登場しているそうです。その人気スポットを運営しているのがJR東日本の子会社・中央ラインモール。実はこの会社、駅の運営も同時に手がける今までにない会社です。駅を独立採算で自立させ、地域密着の新たな駅のカタチを生み出そうとしていました。駅と鉄道が連動して地元と繋がっていく・・・「駅は地域のコミュニティだから、そういう力になることが指命」と冨田会長は語られていました。
村上龍の編集後記でも話されていた事を、そのまま引用させてもらいますが、『Suicaに象徴されるように、その開発とネットワーク化は簡単ではなかったはず。切符を買う必要がないという利便性に加え、他企業とのネットワークが閾値を超えて拡大したとき、社会全体に革命的な変化が起こりました。民営化がもたらした、真の、イノベーションだったのです。』徹底した顧客目線…次回「その2」もお楽しみに…
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10月30日放送のガイアの夜明け『外食王4 どん底から起死回生!』の回、ご覧になられましたか?正直、私は、名前を知っていても中身をよく知らないお店ばかりで申し訳ないのですが、『ドムドムハンバーガー』『サブウェイ』『クリスピー・クリーム・ドーナツ』の3種が登場していました。
まずは、日本初のハンバーガーチェーンという『ドムドムハンバーガー』。「マクドナルド」の日本上陸より1年早い1970年に誕生していたそうです。当時の親会社はダイエー・・・そう言えば、当時はダイエーも「社長」がよくテレビに出てきて勢いのあった時代でしたよね。そんな、ダイエー店内のフードコートを中心に出店し、ピーク時は全国400店舗以上を展開していたと言いますが、私の記憶には殆どなく…ダイエーの衰退とともに、店舗も激減していったそうです。
そんなドムドムが、昨年、ホテルなどを運営するレンブラントホールディングスの傘下に入って再出発することになったのです。このレンブラントHDという会社、2011年の創業以来、今年4月の時点で、2件の企業・事業再生を手掛け、66の事業所を運営しており、企業が見失ってしまった経営体制の再構築や営業面での支援などを行って、「企業が個々に有する課題を解決し、収益性・成長性を取り戻した上で、再び社会貢献できるようにしていくことで、今後の成長ドライバーとして国内外の展開を図っている会社なんだとか…。
路面店の復活第1号が紹介されていましたが、これまでメインだった主婦や家族連れから、若者にシフト。店づくりもWi-Fiやコンセントを完備し、ゆっくり滞在してもらえるようにしていきました。また、商品も学割セットをはじめ、スイーツバーガーなど他のチェーンにはない、独自性あふれるメニューを打ち出しています。かつてのドムドムを知る、メニュー開発担当の浅田祐介さんは…「これからは店も商品もどんどん変えていく」と気合十分。甘いスイーツハンバーガー、興味津々です。
アメリカ生まれのサンドイッチチェーン「サブウェイ」。世界110ヵ国以上で4万店以上を展開し、あのマクドナルドの上を行く世界最大のファストフードチェーンで、“ウり”は、食材などを選べ、自分の好きなサンドイッチにカスタマイズできるという点。特に、野菜の種類が豊富で、しかも増量までできるのです。日本では1992年に1号店がオープンして以降、健康志向の人を中心に支持を集めてきましが、何故か日本では、ここ数年、苦戦されているとのこと。
その原因の一つは、他社との差別化。これまで売りにしてきた、野菜を中心とした“健康志向”が、他のファストフードやコンビニなどでも、今や当たり前になってきているからなんだとか…。そこで今年、【肉】をテーマとした、新しいメニュー開発に乗り出し、これまでやってこなかった他社とのコラボ商品まで作るというのです。社長さんは、「巻き返しのためには日本の客にあうオリジナル商品が必要」と不退転の決意で臨んでいるそうですが・・・
私はちょっと違う気がしています。名前は知りながらも店に入ろうとしなかった私は、好きなものが選べるという所がハードルで入れなかったからです。元から広がっているヘルシー志向を更に強化し、いくつかのお任せコース…例えば「デトックス・チョイス」「スキンケア・チョイス」「エナジー・チョイス」みたいな選択をして注文すると、お店の人が、その傾向に合わせてセットしてくれるみたいな…。内気な癖に面倒臭がりな私にとっては、そんな感じで注文できるのなら是非入ってみたいと思うのですが…サブウェイさん、如何ですか?もし、改革に効果が見られなかったら、私の意見…チョイスしてみませんか?
最後に登場しいてきたのが2006年、アメリカから上陸した「クリスピー・クリーム・ドーナツ」。東京・新宿に出来た1号店は行列をなし、“ドーナツブーム”を巻き起こしました。訪問先へのお土産として買っている人も多かったですよね。その後、全国に続々と出店し、ピーク時には64店舗まで増えましたが、「スイーツ」の移り変わりの波にのまれ、店舗数は3年間で一気に約40店舗にまで減少。外食産業の厳しさが伝わってきます。
そこで、クリスピー・クリーム・ドーナツジャパンを新たに任された社長さんは、本場アメリカに頼らない“日本流改革”を打ち出していきます。それは、日本人好みの商品や、地域ごとの立地や客層に合わせた店舗づくりでした。【地域ごとの立地や客層に合わせる】…大切なキーワードですよね。その結果、既存店の売り上げが13か月連続でプラスに。復活の兆しが見えてきたそうです。
そんなクリスピー・ドーナツは、再び出店攻勢に出ようと、初進出の北海道からのろしを上げました。北海道での知名度は殆どゼロ。任された店長さんは、オープン前の告知として、自慢のドーナツを無料配布するという驚きの戦略に打って出ます。「ただなら貰って食べてみようか」と、用意した配布用ドーナツもあっという間になくなっていきます。そして、10月19日オープン…。緊張した中、当日を迎えると、結果は大成功・・・営業前から長蛇の列になっていました。
【流行】やら【食材】やら【環境】やら・・・様々な要素に影響を受けてしまう外食産業。潰れていくお店も数多くありますが、負けずに頑張っているお店、知恵を絞って踏ん張り、美味しいものを世の中に広めていって欲しいものです。今回、3種のチェーン店を見て思った事…【頑張っているなぁ】と…本当に心からそう感じました。今後の展開に注目したいと思います。
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10月23日放送のガイアの夜明け【「どうする? ニッポンの電力」~「再生可能エネルギー」知られざる“裏側”~】の回、ご覧になられましたか?
まだ記憶に新しい「北海道の大地震」が原因となって発生した道内全域の「ブラックアウト」。初めて起こった現象に、何が起こったのかと耳を疑ったものです。大型台風が引き起こした、静岡の大規模停電もそうであったように、毎日当たり前のように使っている電力が突如、断ち切られたとき、電気製品に頼り切っている私たちの暮らしはが大きな打撃を受けてしまいます。
東日本大震災で福島第一原発が人々に大きな被害をもたらした日本で、これからの電力をどう確保していくのか。そんな議論が始まっても、安倍首相は日本の原発は世界一安全で、コストも安いと原発中心の路線を変えようとせず、恥ずかしいかな、海外にまで売りつけようとしていました。
ところが今年7月、政府が「エネルギー基本計画」で明記したのは、「再生可能エネルギー」を主な電源とすることでした。好感度を上げる為か、太陽光やバイオマス発電といった、環境に優しい電力を拡充しようというのです。「今更??」とか「今ごろ??」とも思いましたが、そこには、思わぬ"光と影"がありました・・・。
東日本大震災以降、停止した原発分を補ってきたのが、火力発電。しかし、燃料のほぼ全てを輸入に頼り、CO2の排出量も高く、環境にとっては全く良い展開ではありません。そこで改めて大きな注目を集めたのが「再生可能エネルギー」でした。2012年には、固定価格買取制度(FIT制度)がスタートし、発電した電気を売ってビジネスにしようと、太陽光を中心に売電事業者やパネルメーカーが次々と誕生。
今回番組で取り上げられた太陽光発電所を運営する「エンブルー」という会社もその一つです。社長の三浦さんは自ら全国を飛び回り、発電に適した土地を日々探し歩いていると言います。そんな、三浦社長が直面していた問題…それは、仮に発電に適した土地を見つけ、そこで電気を生み出したとしても、それを無駄に捨てざるを得ないケースが多いという現実。
電気を作っても、届ける方法がないのです。送配電網の能力が伴わないこと…日本では、大手電力会社が基幹送電線の空き容量がないことを理由に、再生可能エネルギーの発電事業者の接続を拒否する事例が相次いでいるというのです。また再生可能エネルギー事業者に法外な「送電線の工事負担金」を要求する事例まであると…。
つまり、政府は、見せかけだけの再生可能エネルギーの奨励をしただけで、実際には政府も電力会社も原発にこだわり、再生可能エネルギーの普及に本腰を入れていない事が見て取れるのです。
原発反対と言えば小泉元首相の事が、最近は頭に浮かび、こんなセリフを思い出します。
『政府は『日本の原発は世界一、安全基準が厳しい』と言うが、米国やフランス、アイルランドと比べてどこが厳しいのか、全然示していない。廃炉の費用、賠償費用、安全対策の費用。最終処分場なんて千年万年作らない。これを入れてないんだから、原発のコストが一番安いというのは、とんでもない嘘だった。』
これまで政府や電力会社は「原発は、他の発電方法より安いから推進する」と言ってきたものの、本当のコストは高いので、「電力自由化」によって淘汰されないように、原発のコストが本当は高いことを国民に知らせないまま、原発を持たない「新規参入の電力小売会社の電気を買う人」からも「原発の廃炉費用」を負担させ、明らかに原発への優遇策をとってきました。なのに肝心な再生可能エネルギーの方には手が回されていないのです・・・。
番組では今年、日本列島を次々と襲った台風の巨大エネルギーを利用して電力を生み出そうという「チャレナジー」という会社が紹介され、このブログでも他に再生可能エネルギーの取り組みをしているケースを紹介させて頂いたことがありますが、日本の発想力も技術力も素晴らしいものが沢山あるだけに、もっともっと国のバックアップが欲しいものです。
口先だけの他人事の様な「再生可能エネルギー」奨励ではなく、それを主電源とする為の具体的な投資、制度改革など、もっとスピーディーに進めて欲しいものです。ほとんど使われていない送電線だけでも、すぐにでも、有効活用して欲しいものです。なんか書いているうちに沸々と腹が立ってくるのが情けないですよ・・・
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11月1日放送のカンブリア宮殿『創業1805年の老舗和菓子店 伝統と革新の・・・「幸せ」経営術』の回、ご覧になられましたか?東京都内を中心に25店舗展開する和菓子店「船橋屋」さんの一番人気は「くず餅」。くず餅は450日かけて発酵させ、手間ひまかけて独自の食感を生み出すんだとか。
…発酵食品だっけ?と調べてみると…黒蜜ときな粉をかけて食べる「くず餅」とは言え、関東は「ひし形」に切った白っぽい餅で、関西は透き通った外観で、つるんとした食感と異なるもの…。どうやら西と東で同じ名前なのに、違うものだったらしいのです…。知らなかったのは私だけでしょうか・・・恥ずかしや・・・。
関西でよく見かけるのは葛粉から作る「葛餅」で、1870年創業の井上天極堂さんによると、葛粉に砂糖と水を加え、火にかけてよく練っていくと、透明になりとろみがついて出来上がっていく。一方、関東のくず餅は小麦を乳酸菌で発酵させた小麦でんぷんで作っていく。今回の主役1805年創業の船橋屋さんの場合は、小麦の配合や発酵期間が450日にも及ぶのだとか。独特の発酵臭や酸味を除くため、何度も水洗いした小麦でんぷんに湯を加え、蒸して作る。独特の食感は発酵という工程があってこそのもので、和菓子唯一の発酵食品ともいわれるのだとか。
ところで船橋屋さんの「くず餅」は、葛を使っていないのになぜ「くず餅」という名前がついたのか。同社がある東京都の東部などは、かつて下総国葛飾郡と呼ばれ、良質な小麦の産地であることを生かし、庶民の菓子として作られた。一旦は地名から「葛餅」としたものの、関西に同じ名称の菓子があり紛らわしいので「くず餅」や「久寿餅」の表記にしたんだとか。
ついでに、もう一つ、東京なのになぜ「船橋屋」なのか。同社のホームページで確認すると、江戸は文化二年(1805年)、十一代将軍徳川家斉の頃、創業。船橋屋初代の勘助の出身地が下総国(千葉県北部)の船橋で、当時、下総国は良質な小麦の産地。勘助は、亀戸天神が梅や藤の季節に、参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜きな粉をかけて餅を作り上げたんだとか。それがまたたく間に参拝客の垂涎の的となり、いつしか「くず餅」と名づけられ、江戸の名物の一つに数えられる程の評判になっていったんだとか。
しかし、手間暇かけ、450日も発酵させ、添加物を一切使わないため、消費期限は、なんと、わずか2日間!!それでも「直ぐに食べてしまうから関係ないと」お客は言っていました。自然のままの素材の方が体に優しいし、何より江戸時代から続く“粋”でもあるんだとか・・・。”粋”ときましたかぁ。
ところが、船橋屋さんは、老舗の企業でありながら、新しいことにも挑戦し続けていました。例えば、和と洋を融合させたスイーツの開発。「くず餅プリン」は、和洋をミックスさせた商品で、幅広い層から人気を集めているそうです。「くず餅」に合ったコーヒーまで独自に開発してしまうようで、柔軟ですよね。
1964年に老舗の和菓子店「船橋屋」に生まれた渡辺社長。跡継ぎになる気はなく、大学卒業後は大手都市銀行に入行。当時、世の中はバブル時代。渡辺社長は好景気を背景にディーラーとして活躍。ところが、バブル崩壊の影響で、実家の「船橋屋」に暗雲が…。渡辺社長は銀行を辞め、1993年船橋屋に入社することになります。
会社の危機にと戻ってきた渡辺社長でしたが、当時の船橋屋は、昔ながらの職人が幅を利かす、なれ合いの世界だったそうです。古参の社員に反発を食らいながらも、渡辺社長は改革に挑んでいきます。ところが、改革にメスを入れると社員に覇気がなくなっていく…。ある日、関係が良好にいっていると思っていた社員に「やる気」と「給与」のマトリックスを書いて印をつけさせると、どちらの評価も最悪の左下にマークされてしまいます。
それからは、一方的に改革を推し進めるのではなく、組織活性化プロジェクトを立ち上げ、新しい商品のアイデアも、採用された案は担当として頑張れるシステムまで作り上げ、今では5人の募集に対して、16,700人がエントリーしてくるまでの人気企業へとなっているそうです…。「お金が紙に見えたらおごっていることの表れ」そんな言葉を胸に刻んだ社長の金言…「ピラミッド型よりも オーケストラ型の組織に」は、素敵な表現ですよね。
耳寄り情報としては、船橋屋さんに対して「くず餅を食べて健康になった」と体調が良くなる人が続出したので、渡辺社長が研究機関に依頼して調査したところ、腸に良い新種の「くず餅乳酸菌」が発見されたんだとか。創業1805年の船橋屋の樽には調べたところ13種類もの乳酸菌が住みついており、その中の「くず餅乳酸菌」は、腸内環境を劇的に改善してくれるそうです。
そんな「くず餅乳酸菌」は医療機関でも注目され、今後は医療の一環として使用される可能性まで出てきたそうです。そして、渡辺社長はこの「くず餅乳酸菌」を使った独自の商品開発にも取り組んでいるそうで、健康食に敏感に反応してしまう私は…発酵食品と聞いて耳がダンボ・・・今後が更に楽しみです。
いつもの村上龍の編集後記にはこう書かれていました。
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渡辺さんは、会社に入って、妥協のない改革に取り組んだ。職人の仕事をマニュアル化し、努力を怠る仕入れ先を切り、メインバンクとの取引内容にも切り込んだ。だが、社内の雰囲気が殺伐としているのに気づき、従業員のやる気を引き出すために、あらゆることをやった。「船橋屋」は生まれ変わったが、不思議なことに、なのか、あるいは当然のこと、なのか、たぶん「くず餅」の味、食感の基本は変わっていない。スタジオで食べたとき、独特な繊細さを表現できなかった。213年間変わらず、「くず餅」が、主役に君臨している。
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余談ばかりですみませんが、番組を見た後、どうしても船橋屋さんのくず餅が食べたくなって、近くに店舗がないものかと探してみたら、千葉は松戸の北小金駅と本土寺の近くに発見。ワクワクして行き方を調べていたら、営業期間が限定されていて、秋…おっと、立冬過ぎたから…冬は休業中で、それならネットで楽天を調査。ポチッてしいましたよ。予約が多いようで、今月末まで待たなければなりませんが、家内と共に楽しみでなりません。
ところで前回までのシリーズ『アインシュタイン深掘り』最終回のパスワードですが、brainとなります。解説は次回姉妹サイトで…。
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ハーベイが残した遺品の中に、散逸した脳の切片に関する「手がかり」となる名前。そこからは、脳の提供について、やり取りした人物が35人に上る事が分かりました。散逸した脳を捜し出し元どおりに集める事はできないか。番組スタッフはハーベイから脳を受け取ったとみられる人物、全員にコンタクトを試みていきます。名前が浮かび上がったのはアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、南米、そして日本など世界各地に及んでいきます。なかなか頑張っていますよね・・・。
まず向かったのは特徴的な前頭葉と頭頂葉の一部を受け取ったとみられるダイアモンド博士。ダイアモンド博士は脳が環境によって変化する可塑性を発見し世界に先駆けて提唱した脳科学者です。しかし、去年7月に亡くなっていました。アインシュタインの没後30年にその脳に関する初めての研究論文を発表。脳を構成する神経細胞とグリア細胞について調べていました。
当時の科学界では脳の重要な機能を担うのは神経細胞だと考えられていました。一方、グリア細胞は神経細胞を支える脇役にすぎないと見なされていました。ダイアモンド博士はアインシュタインの前頭葉と頭頂葉で、この2つの細胞の比率を調べました。そして、左の頭頂葉ではグリア細胞の割合が平均と比べて73%多い事を突き止めていました。
グリア細胞というのは、神経細胞に酸素や栄養素などを運搬するために動いている細胞で、これによって神経細胞は活発に活動が出来るのです。更にグリア細胞は、ダメージを受けた神経細胞を発見して、その部分を保護し修復させる働きをも持っています。ダイアモンド博士の論文発表を機に、グリア細胞に注目が集まりその機能についての研究が進みましたが、アインシュタインの天才性についての解明はそれ以上進みませんでした。
研究に使われた5つの脳のブロックは、今、どこにあるのか。番組スタッフはダイアモンド博士が生前に在籍していた大学を訪ねます。保管されていたのは37枚のスライドだけ。ブロック1つ分にも到底満たない量でした。スライドは古い手法で染色されていたため現代の技術で新たな解析を進める事は困難とのこと。アインシュタインの知性のカギを握るとみられる前頭葉と頭頂葉5つのブロックは残念ながら見つかりませんでした。
ハワイ在住のチャールズ・ボイド博士68歳。アインシュタインの遺伝子を 解析したいとハーベイに依頼し脳のブロックを2つ受け取った事を認めます。ブロックの番号は198。ロードマップで確認すると左の前頭葉から切り出されたものでした。しかし、もう一つのブロックは…。
25年前ボイド博士はアインシュタインの遺伝的特徴を見いだしたいと脳からDNAの抽出を試みました。ところが、保存状態が悪くDNAが壊れていた事が判明。当時の技術ではそれ以上解析できず研究は失敗し、ブロックは失われました。その後、大学を移籍し研究分野が変わったボイド博士。再びアインシュタインの研究に着手する事は叶いませんでした。
研究に失敗した後ろめたさからアインシュタインの脳を持っている事を人には言えず、時間だけが経ってしまったというのです。ボイド博士が研究に失敗してから25年。最新の技術を使えば壊れた遺伝子からでも解析する事は可能になっているんだとか…。残されたブロックを今後どうするかボイド博士は思い悩んでいるように見えました。
脳の秘密を探って欲しいとハーベイからブロックを託された世界各地の科学者たち…。番組スタッフの取材に対して、ボイド博士の様な後ろめたさからか…アインシュタインの脳を所有している事実さえも隠そうとする人が相次ぎました。調べていくと、その背景には、後ろめたさとは全く違うものも浮かび上がってきたのです・・・。(つづく…⑩は再び姉妹サイトへとバトンタッチです。長いなぁ・・・)
おっと、次回姉妹サイトブログ暗号問題ですが、忘れた頃のアトバシュ暗号でいきたいと思います。・・・って言うか、暗号の種類を言ってしまったら簡単すぎるので、姉妹サイトでは・・・そろそろ例題から推測するパターンにしていきたいとは思っているのですが・・・ で・・・
問題・・・アトバシュ暗号・・・yizrm・・・これを正しいスペルに直してお答えください。
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今年、7月29日NHKで放送された「アインシュタイン消えた“天才脳”を追え」。後日、未編集素材を大幅に加えた特別編も放送されており、それも合わせて、しっかり見させて頂きました。
1955年76歳で亡くなったアインシュタインですが、この時、入院先の病院で病理解剖を担当したハーベイ医師が、アインシュタインの才能の秘密に迫りたいと、なんと、密かに脳を摘出…。これを知った長男は激怒しますが,アインシュタイン自身が生前,自分の遺体が科学研究に付されることに積極的な発言をし、同意していたため,最終的には研究成果を専門誌に発表するということを条件に承諾します。
ところがハーベイは天才脳をどのように研究したら良いのか分からず,そのまま失踪し,40年・・・。脳はいくつにも切り刻まれ、研究と論文発表を条件に更に少なくとも18人の研究者の手に分散し、長い年月が流れる中で、その多くが行方不明に…。
今回のこのNHKスペシャル…きっかけは、番組スタッフが、3年前に教育関係の取材をしているときに、たまたまアインシュタインの脳が密かに摘出さたのを知ったことでした。当時の記事や科学論文などを調べていくと、200以上に切断された脳の大部分が、世界各地に散逸したまま行方不明である実態が見えてきたというのです。
「あれだけ偉大な天才の脳が、どこにあるのかもわからない状況で良いのだろうか…」、そう思い、脳の所在を確かめるとともに、最新の科学技術で知性の秘密にどこまで迫ることができるのかチャレンジしてみたいと考え、企画されたとのこと。番組はNHKとは思えない展開で話が進められ、とても興味深く見させて頂きました。
調査を続ける中で、やがて、ハーベイが残した大量の資料が今も保管されている事が分かります。 交渉の末、保管場所の詳細を明かさない事などを条件に未公開資料の撮影が特別に許されます。脳の摘出後に撮られたとみられる写真。脳は更にブロック状に細かく切断されており、 その一部始終を捉えた写真は 300枚超。
更にハーベイは脳を切断する際にロードマップを作成していました。どのブロックがどこに位置するのか、一つ一つ番号が振られていました。脳のブロックは全部で240。ハーベイは各ブロックの一部から薄い切片を切り取りスライドを作成していました。顕微鏡を使いどこかに特徴がないか、しらみつぶしに解析を試みていたのです。
残念ながら、研究成果が得られた形跡はなく、2007年ハーベイは94歳でこの世を去っていきます。ところが、彼の遺品の中に脳のブロックは一つもなく全て消え去っていたのです。脳は一体どこへ行ったのか・・・。
アインシュタインが晩年を過ごしたプリンストン。ここで、脳の行方に関する重大な手がかりが得られます。地元の医師フレドリック・ラポア。プリンストンの英雄アインシュタインの脳が分割されて人手に渡ったと聞き、長年行方を調べてきたというのです。調査で掴んだのはハーベイが信頼を寄せ最も多くの脳を託したという人物の情報。それは、プリンストン在住のある医師でした。
番組スタッフは、その医師に接触を図る事にし、取材の目的をメールで伝え、連絡を待つ事にしました。5時間後、返信があり、翌日、30分間の面会が認められます。医師との面会はカメラなしでの交渉となりますが、ちゃんとした取材には応じられないという回答が改めて伝えられ「そっとしといてほしい」という本人の気持ちが強く、取材は途切れてしまいます。
それでも、完全に切れた訳じゃないのからと、僅かな取材の可能性を信じ、交渉は続けられる事に・・・
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