NHK BSプレミアムプレミアム7月11日放送のアナザーストーリーズ 運命の分岐点 「沖縄
返還 運命の1日」ご覧になられましたか?
第二次世界大戦の講和条約で、1951年に署名された日本との平和条約では、アメリカ合衆国
の施政権下に置かれるものとされ、1952年4月に発効。アメリカは琉球政府を置き、公選の
議員で構成される立法機関を設けるなど一定の自治を認めますが、最終的な意思決定権は
アメリカが握ったままとなりました。
1950年6月朝鮮戦争、1960年ベトナム戦争がおこるなど、東西冷戦が過熱する中で、アメ
リカにとっての沖縄の扱いは施政権下においての自治から、ソ連や中国、北朝鮮などの東側
諸国に対しての抑止力を持った軍事基地、そしてフィリピンやタイの基地と並ぶベトナム
戦争の爆撃機拠点および後方支援基地としての重要性を担っていきます。
アメリカ軍はその間にも施政権の下に各地に基地や施設を建設し、問題となるアメリカ軍
兵士による悪質な事故、殺人を含む事件が頻発し県民の死傷者も相次ぎました。このころ
から県民はアメリカの施政に落胆し本土復帰(日本復帰)を訴え、県民有志は「島ぐるみ
闘争」といった抵抗運動を起こし、1960年には沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成。
1969年に行われた日米首脳会談で、ベトナム戦争終結とアメリカ軍のベトナムからの撤退を
公約に掲げ前年の大統領選挙に当選したニクソン大統領が、ベトナム戦争の近年中の終結を
考えて、安保延長と引き換えに沖縄返還を約束しますが、公選の行政主席である屋良朝苗や
復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、アメリカ軍基地を県内に維持したままの「72年・核
抜き・本土並み」の返還が決定し1971年沖縄返還協定調印、その後・・・。
1972年5月15日午前零時、アメリカ統治下にあった沖縄は、27年ぶりに日本に復帰しました。
東京では首相・佐藤栄作が歓喜の涙。戦争で奪われた領土が、戦争を経ずに戻った歴史的
快挙。新聞各紙が歴史的瞬間とたたえたその時、沖縄では何が起きていたのか?戦場カメラ
マンが捉えた44枚の貴重な写真から、アナザースートリーズ…知られざる運命の1日が読み
解かれていきます。
復帰当日、石川文洋がカメラで捉えた小学校での授業の様子。そこには、先生すら予想も
しなかった現実を見る子供たちの目がありました。丁度、クラスの子がアメリカ軍の車に
よる交通事故で亡くなり、日本の裁判を受ける事もないまま片づけられてしまうという事が
あったばかりで、黒板には「アメリカ軍はでていかない。きちはそのまま残る。」という
文字が書かれていました。
戦争をもって奪い返すというのではなく沖縄が日本に戻った事は本当に喜ばしい事でしたが
そんな一言では語れない沢山の事、沢山の思い、解決されない問題の山積みを感じました。
…そして、今もなお、軍事と離れられない…未だに本当の平和を取り戻せない沖縄で暮ら
される人たちの事を思うと、本当に気持ちが重くなってしまいました。見られて良かった
です。 しっかりと心に刻んでおきたいと思いました。