私の履歴書2/26と3/5の2回にわたって放送された『大村智』先生の回 「世紀の大発見で
2億人の命を救った男」ご覧になられましたか?日本人で3人目となるノーベル生理学・
医学賞を受賞した大村先生のお話です。
1935年、農家を営む家の長男として生まれた大村先生。山梨大学卒業後は夜間クラスの理科
教師を務めますが、働きながら勉強に打ち込む生徒を見て、なんと、自身も勉強し直すことを
決意するのです。
北里柴三郎が設立した「北里研究所」で抗生物質の研究員になると、そこで秦藤樹教授の
見つけた抗生物質の成分を分離して構造を突き止める日々を送ります。その後、アメリカへ
留学し、満足いく研究環境の中で化合物の構造解析を進めますが、秦教授の定年により北里
研究室を継ぐことに。
アメリカでの研究レベルを日本で維持するために「オオムラ・メゾット」という共同研究の
契約方式を考案。アメリカの製薬会社メルクと手を組み、動物薬に注力した大村は、土壌の
微生物から有用な物質を探し出す地道な作業をはじめます。
1975年、北里大学薬学部の教授だった大村先生は、のちにノーベル賞受賞に繋がる線虫を
殺す物質「エバーメクチン」を発見します。3億円での売却を求められますが、よくそれを
断ったものです。
しかし、1977年に経営悪化で研究室の閉鎖が決定されると、何とか存続させるため研究費を
自前で賄う独立採算を申し出ます。1978年、「エバーメクチン」の特許が成立し、これが
200億円ものお金を生み出していくのです。3億円なんて問題外でしたね。
そんなこんなで、研究費用の問題から一時解放されますが、今度は北里研究所が作った大学や
病院の費用が問題となり、いつ倒産してもおかしくないことが発覚します。そこで大村先生は、
教授職を辞し、北里研究所の理事として副所長に就任。経営を基礎から勉強し、研究所再建の
ための大胆な改革を次々と実行していきます。
1989年、「エバーメクチン」特許料収入で大型総合病院「北里大学メディカルセンター」が
完成。2008年には学校法人・北里研究所への統合を成功させ、北里大学特別栄誉教授となった
現在も「新物質の発見」に取り組み、その信念を次世代へ継承する活動を行っているとのこと。
様々な場面での判断力、また、その行動力に頭が下がるばかり。本当に凄い先生でした。