『未見の我』
人間 だれしもの中に 自分の知らない
素晴しい 自分が眠っている。
それを私は『未見の我』と呼んでいる。
世の中には 自分の中に埋もれている
素晴しい「未見の我」に 気付かずに
埋もらせたまま この世を去っていく惜しい人が 多い。
君たちは 若い。
今から『未見の我』の存在に目覚めて
その開拓に 精一杯努力して
意義ある人生を送ってほしい
随分と昔の話になるので、誰の講演かは忘れてしまいました。学校で生徒に
向けられた話だったと思うのですが・・・。実はこの『未見の我』、この
講演者が考えた言葉ではなかったようで、吉田松陰の言葉として随分
前からあったという話を、後にしりました。…その中身はこうです。
未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。
心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。
必ず達成します。
運命を造りなさい。
とは、言いながらも実際に文面に『未見の我』という言葉は、出てきません。
また、安積得也のこんな詩でも知られているようです。
『未見の我 』
昼なお暗き大森林の
何千億の樫の葉から
一番よく似た二枚を採って較べて見る
不思議だ
一枚だって同じものはないのだから
植物学者の語る事実が
鋭い暗示を
人間個性の問題に投げかける
人皆(ひとみな)の声が違うように
人皆の可能性が
おのがじしなる持ち味を蔵している
愕(おどろ)くべき真理だ
お互一人一人が
夫々に天下一品の特質を
おおいなるものから授かっているとは
人みな英雄!
そうだ
内に隠れて見えないけれども
現在(いま)こそ内に眠り底に潜んで
自分にも他人にも発見(わか)らないけれども
五尺の我のうちにこそ
未見の我の偉大な姿が隠れているのだ
ありがたや
自分の中には自分の知らない自分がある
強くして能あり
清くして正大なり
現在の我とは比較にもならぬ
未来相の我だ
私はもう私を見くびらない
弱小の私
無能の私
あやまち多い私
しかし私は未見の我の故に
私の全身全霊を愛惜する
彼はつまらぬ奴だ
馬鹿なまねをしやがった
しかし私は彼を見棄てない
彼の内なる未見の彼を
私は限りなく尊重する
(詩集『一人のために』から)
安積得也は、1900年生まれで「人間賛歌」という本の中にも別の詩が
登場しています。それでも、吉田松陰は1830年生まれなので、吉田松陰の
言葉を知っていた人が、後に『未見の我』という言葉を創り出したのかも
しれませんね。誰が最初に産み出した言葉かは、はっきり分かりませんが、
いくつになっても、この『未見の我』を探しながら、ワクワクしつつ、
前向きに生きていきたいものです。
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