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亡命して、日本で女性版「赤ひげ」になられた素敵な方

2018-5-10 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

5月7日放送のワタシが日本に住む理由『チェコ共和国・首都プラハ出身の中島恵利華さん』の回、ご覧になられましたか?

 

今回主役の恵利華さんが生まれたのは、チェコがまだ社会主義だった1951年のチェコスロバキア。激動の最中出会った日本の映画「赤ひげ」に感銘を受け、勉強嫌いだった彼女は医師を志します。クラシック音楽を学びにチェコに来る日本人から日本語を学び、日本語を勉強するために始めた文通がきっかけとなって、3年後に公務員の研究職である秀治さんと結婚。

 

社会主義と民主主義の夫婦の誕生は、簡単なものではなく、28歳で初来日するも、チェコが民主化する前だったので、帰れば処刑されることも十分考えられ、日本で帰化し、日本で生きていく…故郷には帰らないことを決意しての来日でした。亡命という言葉が出てきましたが、本当に一大決心です。

 

チェコで医師免許は取っていましたが、日本では通用しないので、更に3年間大学に通って日本の医師免許を取っていきます。きっと、この頃には、勉強嫌いではなくなっていたのでしょうね。ところが、医師免許を取得しても、外国人の女性で子供が2人という条件では、雇ってくれる病院はありませんでした。そうして出した結論がご主人の故郷・新潟での「めぐみ皮膚科」の開業でした。

 

恵利華さんは、更に池の平で旅館「おやど山恵」を経営しながら、そこでの診療も月2回しているとか。病院に来る人達は、恵利華先生のフランクな口調に心を開いて接していきます。皮膚科なのに、「目薬ないか?」とか「尻が痛い」からと湿布薬とか…。田舎だから薬局に行くのも大変なので、院内処方までされていました。言葉の乱暴さからも、さながら、外国人女性版「赤ひげ」先生といった感じでした。

 

日本在住39年、ご主人の事を「オヤジ!」と呼んだり「お前!」と呼んだり、言葉だけ聞いていると、本当にピックリしてしまうのですが、彼女を支えるご主人とのやり取りも楽しく見させて頂きました。秀治さんのチェコまで行ってしまう行動力や、ニコニコしながら恵利華さんに感謝している様も、とても素敵でした。

 

最後に司会から聞かれる定番の「あえて日本に物申すとしたら?」という質問には、「田舎の医療に対して、もっと国は支援すべきだ」と話しておられました。全く、その通りですよね…。そんな日本で、亡命してきた外国人女性が、田舎の医療を支えているのですから、本当に感謝しなくてはなりません。きっと先生は、皮膚科だけでなく、いろいろな病気に対応してアドバイスできるように、勉強も続けているのでしょうね…。本当に、有り難い話です!!

 

 

 

 

 

 

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